先頃公表された中央教育審議会審議のまとめでは「子供にゆとりと生きる力を」ということを大きなテーマに据えた上で「すべての教育の出発点は家庭」と、その重要性を指摘し、週休2日制や育児休暇などの整備と同時に、父親の責任の自覚と企業の協力を呼びかけています。
第8号
1996年07月20日発行
京都府議会議員
先頃公表された中央教育審議会審議のまとめでは「子供にゆとりと生きる力を」ということを大きなテーマに据えた上で「すべての教育の出発点は家庭」と、その重要性を指摘し、週休2日制や育児休暇などの整備と同時に、父親の責任の自覚と企業の協力を呼びかけています。
また、審議のまとめでは個性尊重の教育ということを全面に押し出して、生きる力を育むためにも家庭の教育力の一層の促進をうたっています。確かに、多様な価値観を認める上でもまた、自ら学び、考え、主体的に判断し、行動するという「生きる力」を育てるためには個性尊重は重要なことであります。しかし、その一方で日本人としての伝統や慣習に基づく価値観や株序の大切さを学ぶということについてはまったく触れられておりません。私にはこの点が非常に遺憾であります。
と申しますのも、欧米の自由主義、個人主義という価値観にたって戦後の教育は推進されてきたはずであります。その一方で戦前の日本の伝統的な儒教的な価値観はすべて封建的なものとして葬り去られてきたのが、今日までの現実ではなかったでしょうか。そしてその結果どうなったかといえば、経済の面では、自由主義経済体制のもと大いに発展し、物質的な豊かさを手にいれて参りました。しかしその一方子供の教育環境の面では、いじめの問題、家庭の教育力の低下など子供の健全な発達を歪めているのが現実であります。しかも、その原因は「行き過ぎた自由主義・個人主義」が蔓延してしまったためで、他人や社会のことを考えない勝手気ままな利己主義者を生み出してしまったからです。また、経済の面でも社会の秩序を考えず、欲望のままに行動するとどうなるか。それはただバブルが膨れ上がり、崩壊するだけだということもついこの前に経験したところであります。
これらの教訓が教えるところは、「確かに自由主義・個人主義は大切な価値観であるけれども、何の規制もない自由主義や個人主義は結局のところ勝手気ままな利己主義に陥るだけである。本当の意味での自由主義・個人主義は伝統や慣習という秩序とのバランスの上にあるのだ」ということではないでしょうか。そしてこのバランスの大切さを教えることが自ら学び、考え、判断し、行動するという「生きる力」そのものではないでしょうか。
従って、これからの個性化の教育をすればするほど、本当に教えなければならないのは、伝統や慣習、言い替えれば、日本人としての伝統的価値観や良識でありましょう。にもかかわらず、この本質の部分に触れずに「生きる力」だの「家庭の回復」だの並び立てても、私は魂のない空念仏にすぎないと思うのであります。
私はこれからの教育、とりわけ初等・中等教育を考える上では個性化と同時に、日本人としての伝統的価値観や良識を教えることがとりわけ重要であると思っております。いじめ問題を始め、現代の子供達の抱えるさまざまな問題の原点は家庭にあり、家庭の回復こそが問題の解決であると思います。
また、高齢化社会の福祉について考える上でも家族や地域社会とのつながりということが前提となるのですが、現代社会というものはそのつながりをどんどん崩壊させる方向に流されているのではないでしょうか。元来、欧米の個人主義に対して日本では伝統的に家族主義でありました。しかし、家を守る=封建的制度という非常に安直な考えから、家族主義を唱えること自体「封建的」「保守反動」という形で、特に公の上では日本人の価値観の中から排除されてきました。
しかしこれからは、互いの立場と役割を認め合い、健全な子供を育み、父や母としての尊厳と自信に満ちた健全な家を再度作ることが大切です。社会の基本的な構成の礎としての家を回復することが必要です。そのことは日本の伝統的価値観の回復と表裏一体のものになっているのではないでしょうか。
個人主義の原理を家庭の中にそのまま持ち込めば、家庭が崩壊するのは当然の帰結であります。家庭の回復のためには、まさに行き過ぎた個人主義を是正し、戦後50年間封殺されてきた家族主義に代表される伝統的価値観に回帰し、そのバランスをとること以外無いのであります.そして大切なことはこうしたことを国民の中で論議し考える環境を作ることだと私は思います。特に、日本的価値観は政治によって抹殺されたものであるだけに、その回復は政治の責任ではないでしょうか。
(この原稿は、6月28日、本会議での質問の大意です。)