民主党が招いた尖閣問題
参議院予算委員会にて質問の様子(8月4日)
那覇地検は逮捕していた中国人船長を処分保留のまま釈放し、「日中関係を考慮すれば身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当でない」とする異例の記者発表を出しました。
検察の仕事は、法と証拠に基づき容疑者を起訴することです。そこに外交的判断が紛れ込む余地はありません。私は今回の事件では、指揮権の発動が事実上あったと思います。むしろ積極的に指揮権を発動しても良かったと思っているくらいです。中国で拘留されている4人の邦人の解放と引き換えならば、政治的判断として当然あり得る話ではなかったでしょうか。もちろん、その責任は政府が負わねばなりませんが、外交交渉としてはあり得たはずです。
ところが、このようなことが全く考慮されることなく、検察独自の判断で船長を釈放したというのならば、民主党政府は外交を放棄していると言わざるを得ません。中国の強硬姿勢に押され、4人の解放の糸口を何もつかめぬうちに船長を釈放するというのではお話になりません。しかもその責任を一地方検事に押しつけるとは言語道断です。
案の定、その弱腰で卑怯な姿を中国側は見逃さず、船長が釈放されたら更に謝罪と賠償を求めるという暴挙に出たのです。船長を釈放さえすれば丸く収まるだろうという民主党政権の甘い考えは、中国を増長させるだけの結果に終わったのです。
伏線その1 小沢訪中団
西田昌司国政報告会を開催しました
(於シルクホール9月17日)
会場一杯の皆様にご来場いただきまして
誠にありがとうございました
昨年12月、民主党の小沢幹事長(当時)は、600人を超える大訪中団を率い訪中しました。国会議員も140人を超え、一人ひとりが胡錦涛国家主席と握手をするなど、まさに朝貢外交さながらのその様子をご記憶の方も多いでしょう。菅総理でなく、小沢総理なら今日の事態は避けられたのではという人もいますが、それは間違いです。というのも、こうした対中朝貢外交が、中国に誤ったメッセ-ジを与えているからです。実際、その答礼に訪日した習近平副主席に対して、いわゆる一ヶ月ルールを破ってまで天皇陛下への謁見を宮内庁に要請したことからも分かる様に、中国からの要求には何でも応じるという姿勢を示したのは小沢さん自身なのです。これが、中国の増長に拍車をかけたのは間違いないでしょう。
伏線その2 日米中正三角形の鳩山外交
政権交代後、鳩山総理(当時)は東アジア共同体論を展開し、日米中が正三角形のように対等に協力し合う関係を目指す旨の外交姿勢を強調しました。
これは麻生内閣の「自由と繁栄の弧」と似て非なるものです。麻生政権では日米関係が主軸であり、アジア外交においても自由主義という価値観を共有できる国々が協力し合うべきだという姿勢を示し、事実上の対中封じ込め外交を基本政策としたのでした。これは、この20年にわたる中国の軍事力の増強に対する日本の警戒感の表れでもあったのです。
ところが、鳩山政権では対中無防備外交を展開し、対中追従姿勢を繰り返し表明してきました。これでは中国が増長するのも無理からぬことです。
伏線3 普天間の問題
さらに今日の事件を決定づけたのが、例の普天間問題です。普天間基地を何ら代替案のないまま「出来れば国外、最低でも県外」に移転すると明言したものの、迷走の果てに、自民党と同じ辺野古に決定とはまさに愚か者です。沖縄や米国との信頼関係は著しく損なわれ、今や米国内には対日不信が大きく蔓延しているのです。
せめて、防衛力を増強すればいいものを、自衛隊ですら事業仕分けの対象にするような姿勢では、日本の安全保障は風前の灯です。普天間問題でのデタラメな対応が、今回の事件の決定打となったのです。
ところが、こうした事態を招いた張本人である鳩山総理にはその責任を感じている様子が全く見られません。それどころか菅総理の対応を批判し、「自分ならもっと上手くやれた」と言い出す始末です。民主党の首脳は誰一人として当事者意識を持ってないということです。
無責任で不見識な人間が政権をとるとどうなるのか、そこにあるのは国家崩壊以外ありません。今、まさに日本は国家崩壊の危機にあるのです。
事業仕分けの前にデフレを止めろ
国家崩壊の危機的状況にあるのは、安全保障上のことだけではありません。国民生活の屋体骨である経済や財政も大変な状態です。無駄を排除して財政再建をする、その目玉として、事業仕分けをまた行うつもりのようですが、これは全くの見当違いです。
そもそも、今回の事業仕分けをする事業自体が、民主党政権が必要と認めたものでしょう。それを仕分けすること自体、論理的に矛盾します。それでも百歩譲って、事業の成果を見てさらなる効率化をはかる、というならばそれも良し。しかし、それにより一体いくらの予算が削減されるのでしょうか。政権交代の時でさえ、事業仕分けで何兆円もの予算の財源が出ると言いながら、実際には数千億円でした。しかもそれは、学校の耐震工事など本当は必要な予算まで無理矢理削って作り出した虚構です。事業仕分けというパフォーマンスばかり考えずにまず、現下の経済情勢を正確に理解してくれなくては困ります。
デフレというのは、インフレに対することばです。インフレは物価が上がることを意味しますが、デフレは物価の下落を示す経済用語です。
消費者の立場からすると、物価は上がるより下がる方が好ましいと考えることが出来ますが、一国の経済全体で考えたとき、デフレはインフレ以上に悪い最悪のものなのです。
デフレでは経済活動は破綻する
経済活動を考えてみましょう。材料を仕入れてそれを売る、これが商売の基本です。100円のものを200円で売ることが出来るから商売が成り立つのです。これがデフレになると、物価が下がりますから100円で仕入れたものを50円で売ることになります。これでは、商売が成り立ちません。今日より明日の方が安くなるという物価下落に歯止めをかけないと、誰もものを買わなくなります。するとこれが益々物価を押し下げます。こうなるとブラックホールに吸い込まれたも同じで、正常な経済活動が出来なくなるのです。
最初は物価が下がって喜んでいた消費者も、いずれ自分の給料を払ってくれる会社がデフレにより事業が成立せず、破綻をし、失業という憂き目にあって初めて、デフレの恐ろしさに気が付くのです。つまり、デフレとは、経済活動そのものを殺してしまう恐ろしい病気なのです。
財政の再建ももちろん大切なことですが、国民生活の根本である経済活動が破綻しては、再建の仕様がありません。財政再建以前にまずやるべき事は、デフレを止めることなのです。これを国民共通の理解にしておかないととんでもない間違いをすることになります。
実は、戦後日本においては、基本的にインフレがずっと続いていたのです。つまり経済発展に伴って物価も上がってきたのです。もちろん給料もその分上がってきました。インフレがあまりに過ぎると狂乱物価になり国民生活に悪い影響を与えることから、政府の政策としてはこれを抑制することが、まず第一に行われてきたのです。まさにインフレ対策が経済政策だと思われてきたのです。日本では、戦後デフレに陥ったことは事実上一度もなく、デフレ対策についての知識が政府にもマスコミにもないのです。これが誤った経済政策を進める原因になっています。
デフレ時にインフレ対策を行う愚
民主党の唱える事業仕分けや無駄削減、コンクリートから人へなどは、インフレ対策の典型例であり、後世必ず失策として批判の対象になることは間違いありません。
これらの対策は、インフレの時には有効であるかもしれません。それは政府予算を削減し、過熱する経済活動を抑えるものだからです。しかしそれを景気が悪く民間投資が滞っているときに行うというのは全く間違いであり、経済音痴であると言わざるを得ません。
公的需要を掘り起こせ
民間需要が落ち込んでいる今、まず第一にすべきことは公的需要による経済再生です。たとえば、学校などの耐震化は待ったなしで必要です。これらの事業を前倒しで行うべきです。水害を防ぐためにはダムも必要でしょう。また、橋なども完成後40~50年経つと架け替えをしなければなりません。これを放置すると大災害につながります。また地中に埋めてある上下水道管などのライフラインも取り替えの時期にきています。こうした社会資本の更新だけでも少なくとも100兆円以上の予算が必要なのです。そうした将来必ず必要な事業(公需)を民需の落ち込んだ今こそ、積極的に前倒して行うことが、デフレ対策としては最適なのです。この財源は子ども手当のようなバラマキをやめるだけで、毎年5兆円以上が生み出されるのです。
国民生活より政権の延命が大事な民主党
自民党京都府連定期大会において、
来春の統一地方選挙公認候補者43名を発表しました
ところが、この当たり前のことが民主党には分からないのです。そもそも、経済政策も外交政策も幼稚な知識と経験しかないため、国家全体のことが全く彼らには見えていないのです。しかも、政府与党として、自らが全ての責任を取らねば成らないという自覚が未だにありません。
まさに国民の生活、国家の安全より自分のことが第一なのです。彼ら民主党政権こそ国民の敵なのです。日本再建のためには彼らを倒す以外ないのです。
樋のひと雫
羅生門の樋
先の民主党代表選であるマスコミが「資質なき者と資格なき者との戦い」と評していたのが印象的でした。片や「市民政治家」一方は「剛腕政治家」。しかし、これらはイメージでしかありません。その剛腕の中身は何でしょう。その市民活動出身の中身は何でしょう。民主党が政権を取った時、彼らは副総理であり幹事長でした。あの宇宙人総理が普天間基地の問題で「県外だ、国外だ」とマスコミを賑わしていた時、彼らは一度もその問題に触れた発言をしていません。「火中の栗は拾わず」が心情の権勢追求の政治家が、その姿であったのかも知れません。
思えばあの時、政権交代という機を生かし、新しい日本の一歩を築くチャンスだったのかも知れません。秘かな期待もありました。アメリカ合衆国から見た「米日同盟」ではなく、日本から見た「日米同盟」への転換を図るという意味で。
あの時、論議すべきは「基地問題」ではなく、日本の防衛の在り方を根本的に見直し、国民的論議をする大きな機会だったと思います。沖縄はアメリカの地政学では、対中国とりわけ、台湾海峡を巡るアジアの安定や東アジア情勢を安定化する意味で大いに重要な位置にあるでしょう。しかし、現在の日本の地政学的意味からすればどうでしょう。昨今の尖閣諸島の問題、朝鮮問題やシーレーンの確保といった問題からすれば、また、専守自主防衛という観点からすれば、どうでしょう。中国が航空母艦を中心とした外洋艦隊を持つ時代になりました。隣国が沿岸防衛から外洋覇権を窺う時代になったのです。我々の国防にも変化があって当然です。
日本人を拉致した北朝鮮の人間の嘆願書を書くような市民活動家の心情では、一国の国防を論議する覚悟を期待するのは無理でしょう。また、尖閣諸島は領土問題だと発言するような仕分け大臣には、台湾を守っても日本を防衛する気も無いでしょう。そう言えば、マニフェストには外国人に地方参政権を与えるという話が載っていました。山陰や北陸に集団移住し、彼らの市や町が誕生した時、果たして日本はどの国から見た「地政学的意味」を持つことになるのでしょう。