自民党にとっては歴史的惨敗と言われた、今回の参議院選挙でした。こうした逆風にもかかわらず、362,274票という思いがけぬ得票で当選させて頂きました。
その一方で、全国では多くの同志が落選の憂き目に遭いました。特に1人区では6勝23敗と惨敗でした。何故こうした結果になったのか、また今後、自民党はどうあるべきなのか、私なりの考えを述べたいと思います。
第52号
2007年09月06日発行
参議院議員
自民党にとっては歴史的惨敗と言われた、今回の参議院選挙でした。こうした逆風にもかかわらず、362,274票という思いがけぬ得票で当選させて頂きました。
その一方で、全国では多くの同志が落選の憂き目に遭いました。特に1人区では6勝23敗と惨敗でした。何故こうした結果になったのか、また今後、自民党はどうあるべきなのか、私なりの考えを述べたいと思います。
今回の選挙は、選挙前から年金問題が争点といわれてきました。確かに、年金問題は敗因の一つであると思いますが、むしろ、その背後にある政治不信が敗因ではなかったかと思います。年金に対する国民の不信は、取りも直さず、自分の老後の不安と直結します。そして老後の不安は、年金という経済的基盤の問題だけでなく、国の将来に対する不透明感、不信感に原因があったのではないでしょうか。
一人区現象と言われる様に、郡部において自民党は惨敗しました。戦後一貫して、都市部へ集中投資が行われてきましたが、時にバブル崩壊後その路線に拍車がかかり、結果として郡部の疲弊は決定的になりました。郡部の反乱はそのことに対する報いであると言えます。
一方、都市部においては、人口は増加し、一見発達している様にも見えますが、現実には多世代にわたる定住人口は少なく、地域に対する意識は希薄化するばかりであり、決して正常な姿とは言えません。このことは、戦後半世紀以上にわたって、都市部においても郡部においても、地域のコミュニティーの破壊を続けてきたということを示しているのでは、ないでしょうか。
本来、自民党は、保守政党であり、一つの階層に偏らない国民政党であります。その支持基盤は、まさにこの地域コミュニティーにあったのです。これを半世紀にわたって破壊した結果が、今日の自民党惨敗の根本的原因であると私は考えています。そして、このコミュニティー破壊が日本の将来に対する不透明感、不安感の原因になっているのです。自民党再生のためには、都市と農村のコミュニティーの再生が必要であり、それは真に日本の再生でもあります。
そのために必要なことは、都市においても農村においても、何世代にわたって暮らしてゆける仕組みの確立です。つまり、家族や地域の再生ということなのです。具体的には、都市においては、多世代住宅の建設であり、家族の再生です。農村においては、家族を養えるだけの産業基盤の確立であり、そのためには農林水産業、地場産業の振興は不可欠です。
こうした現実を考えれば、遅くとも平成に入ってからの日本では、経済復興、経済成長という路線から地域社会や家族の再生へと、政治の方向が転換されるべきであったはずなのです。
ところが残念ながら、こうした戦後政治に対する反省がないまま、日本はバブルとその崩壊の時代を迎えてしまったのです。この十数年は、その後始末のためのまさに失われた10年でした。目先の経済成長のために、またしても都市への集中投資に拍車がかかり、同じ過ちを繰り返したのです。
小泉改革もこうした考えの延長線上にありました。その意味で構造改革とはいえ、戦後の「枠組」の構造を変えるものではなく、むしろ、戦後政治の完成を意味するものではなかったでしょうか。
こうした国民の不安や不信を察知し、選挙戦略としたのが、民主党です。民主党は結党以来、二大政党制が唯一の理念で、具体的政策では自民党との差異が少ないことが、逆に国民への「売り」であった政党です。小泉政権が「構造改革」を唱えていた頃は、改革のスピードを競おうと主張していたことでも明らかなように、小泉改革と全く同じ路線を訴えてきたのです。
ところが、先の郵政選挙では自民党が圧勝し、逆に民主党は大敗しました。そこで、同じ路線では結局、政権党に有利になるだけと判断したのか、今回の参議院選では今までの主張を変え、格差問題などの小泉改革の矛盾点を突くことに徹底したのです。もとよりこれは、保守政党として自民党が本来主張すべきことであり、戦後の経済至上主義からの脱却として必要なことでありました。これに年金問題や、さらに閣僚などのあまりにも自覚に欠ける言動が追い打ちをかけ、自民党は惨敗したのです。
安倍総理は、当初より戦後レジームからの脱却を掲げていました。それは、私が府議会の時代より訴えてきた、戦後体制の解消と同じ意味であったと思います。戦後の占領時代、日本人に主権のなかった時代に作られた、憲法や教育基本法、自衛隊に象徴される戦後の仕組みや考え方に対し、日本人の伝統や精神を基軸にした制度に変えていくことを堂々と主張されたことは、評価に値すると私は考えます。また、それに間違いはなかったと、今も確信をしています。
しかし、こうした安倍総理の考えが国民に十分に伝わらなかったことも事実です。その原因のひとつに、自民党の中で、こうしたことが十分議論できず、生煮えの状態であったことが挙げられます。本質的には小泉内閣とは改革の方向が違うにもかかわらず、郵政選挙で大勝した後の総裁選であったため、誰も小泉改革の是非について真正面から議論できませんでした。むしろ、小泉改革の後継者としての立場を取らざるを得なかったということが、安倍内閣の最大の弱点ではなかったでしょうか。今回の選挙では、まさにこの弱点を民主党に突かれたのです。
今回の選挙で残念ながら自民党は大敗しました。我々はこの事実を真摯に受けとめなければなりません。自民党再生のために必要なものは、まず、確かな歴史観であることは言うまでもありません。目先の政局や、「改革という魔法の言葉」で思考停止をしていては、自民党のみならず、この日本の国が崩壊してしまいます。
今までタブーにされてきた小泉改革の是非はもちろん、戦後政治そのものについて、根本から問い直すことが必要なのです。また、こうした議論は、自民党のみならず民主党をも巻き込む必要があります。衆議院と参議院とで多数派が異なる現実を考えれば、こうした議論は当然必要です。むしろ、小泉改革の矛盾を民主党は訴えただけに、彼らも今まで通りの改革を叫んでいるわけにはいかないのです。
安倍総理には、今一度、戦後レジームからの脱却を掲げていただき、その現実をしっかりと国民に訴えていただきたいと思います。
「伝えよう、美しい精神(こころ)と自然(こくど)。日本の背骨を取り戻そう!」は私の府議の時代からのスローガンであり、「地方の叫びを国政へ」は、父 吉宏のスローガンでした。これが、日本の再興と自民党の再生のために、今まさに必要な言葉であることを改めて感じています。国政の場で全力でこれに取り組むことをお誓い申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
7月の参議院選挙では、自由民主党にとっては、大変きびしい逆風にもかかわらず、西田昌司参議院議員を誕生させていただきました。
私は、17年前に昌司議員と一緒に、昌友会を立ち上げ、自国の歴史を大切にし、自立を考えることを活動理念として、様々な地域活動を展開してまいりました。家庭の絆や、地域の絆をもう一度取り戻すためにはどうしたらよいのかを常に考え、毎月の昌友塾でも真剣な議論してまいりました。この昌友塾もまもなく 100回目を迎えます。
こうした地道で真剣な活動を続けていく中から、私も府議会議員として送り出していただくことになり、また同志となる地方議員も誕生してまいりました。
しかし残念ながら、地域コミュニティは、グローバルな競争社会の到来とともに、崩壊の一途をたどっています。また、家族や地域の友人と共に時間を共有するも、ますます少なくなってきています。
昔より、稲荷祭り、祇園祭り、五山の送り火などの伝統行事は、多くの人たちが支えあって、幾年にもわたり伝え、守られてきました。また、各町内の地蔵盆も、隣近所のお年寄りから様々なことを教えてもらいながら、幼い子供達もいっしょになって楽しんできました。これらの地域を支えてきた人たちの多くは、お百姓さん、商店や町工場のおじさん、おばさん達でしたが、社会構造の変化が進む中で、身近にこれらの人々の姿が見られなくなってまいりました。このままでは、地域の衰退が進むばかりです。
新たに地域の活性化を図るには、現役サラリーマンや定年後の人たちに若者たちも加わった、新たなコミュニティづくりが必要だと思います。私も新しい地域の絆を再生するため、自ら行動しようとする人たちとともに、先頭に立って新たな地域づくりに取組んでいこうと考えています。
西田昌司参議院議員には、国政の場でも、家族の絆、地域の絆を大切にしながら、国と地方のバランスの取れた社会を実現し、国民ひとりひとりが幸せを実感し、若者が将来に夢と希望が持てるような国づくりを目指していただきたいと思います。そのためにも、皆様の昌友会活動への一層のご協力をよろしくお願い申し上げます。
団塊の世代の大量退職により「技術の伝承」という問題が騒がれています。建設業界の印刷物に「どのように技術を伝えていくのかということも大切だが,いかに若い人たちに自分でやろうという気持ちにさせることが大切」と,また「そのためには上司・先輩たちが若い人にドンドン仕事をさせ,モノづくりの喜びや仕事の楽しさを伝えてゆくことが大きな課題」と括っている。
しかし「モノづくりの楽しさ,喜びは」大上段に構えることなく,家庭での親子のふれ合いで伝えられてきたように思います。台所の母親の横でジャガイモの皮をむいたり,日曜大工の「犬小屋つくり」で父親とペンキ塗りをしたり,お爺ちゃんの畑でサツマイモを掘り出したり,色々なお手伝いをすることによってモノつくりの入り口をうろうろしていたような気がします。お手伝いが恥ずかしい思春期の中高生になってもモノつくりの楽しさは覚えていて、瓦自身もアルバイトではモノつくりに関係する事業所を選んでいました。
今,小学校ではお手伝いを薦めていますが,親はお手伝いよりも勉強している姿を喜んでいる様子です。テレビコマーシャルでよく遊び・・・。といったキャッチフレーズが流れていますが,何か取って付けたような虚しさを感じます。額に汗して働く喜びを小学生時代に植え付けておけば,冒頭のような危惧の必要は無いと思っています。
(財)日本青年研究所の「高校生の日常に関する調査」の「職業観」に関する調査結果では「日本人は平和で豊かな生活環境にあるので軟弱と思える」といった結果が報告されていますが,『高校生の職業観』(表)を見てみると、額に汗して働くことを嫌っている高校生は1/4で中国,アメリカより少ないことは,まだまだ今の高校生も捨てたモノではないと瓦は思っています。
肉体労動に就きたくない
日本:26.7
米国:46.8
中国:70.2
他人より給料の高い仕事に就きたい
日本:73.6
米国:53.3
中国:28.4
偉くなると責任が重いのでいやだ
日本:51.0
米国:16.4
中国:36.5