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第41号

2004年10月01日発行

ロシア訪問記

京都府議会議員西田昌司

8月の29日から9月4日までの1週間、ロシアを訪問してきました。京都府とロシアのレニングラード州とが友好提携を結んで今年で10年になります。レニングラード州議会の招聘を受け、京都府議会から議会運営委員会の理事が代表として訪問することになり、私もその一員として自民党の議員団を代表して訪ロすることになったのです。

  ロシアには、ロシア国営航空のアエロフロートの直行便が成田から飛んでいるとのことでしたが、日程等の関係から、大韓航空で向かうことになりました。残念ながら日本の航空会社には直行便が無ないのですが、大韓航空にあるということです。それだけ韓国がロシアに対して投資をしており、多くのビジネスマンがロシアとの間を行き来しているからでしょう。事実、ロシアの空港に備え付けてある大きな薄型テレビは、LGという韓国のメーカーのものでした。また、市内のあちらこちらでも韓国企業の看板を多く見ることができました。韓国が、ロシアの投資に熱心に取り組んでいることが、こうしたことからもよく見て取れます。

ところで、大韓航空を利用するため、一度ソウルに立ち寄らねばならないのですが、ここでもまた我々は、韓国の躍進ぶりに目を奪われることになるのです。我々が乗り継ぎのため立ち寄ったのは、ソウル郊外に新たに建設されたインチェン空港です。これは、韓国が国を挙げてアジアのハブ空港とすべく建設をしたものであり、関空を遥かに凌駕するもののように見えました。関空では、民営ということが最初に決められたため、高い離発着料が課せられました。そのため、航空会社が関空への乗り入れを敬遠し、ますます関空の経営を苦しめています。これではインチェン空港を始め、国家戦略で国費を投入して作られたアジアの他の空港に遅れを取ることは必至であるとの気がしました。


 さて、ロシアについてです。我々は、モスクワとサンクトペテルブルグの二つの都市を中心に訪問をしましたが、どちらの都市も経済発展という尺度で見る限りは、全く論評に値しません。日本とは比較にならないだけでなく、同じ共産圏であった中国の躍進振りと比べても、この国の停滞の状況が深刻であるということが見て取れます。

経済の面では見るべきものは殆どありませんでしたが、日本が参考にすべきものが他に多々ありました。それは歴史に対する人々の態度なのです。

 ロシアでは74年間にわたる共産主義政権のため、歴史や宗教が否定されてきました。また第二次大戦ではヒトラーに国土が攻め込まれ、両都市を始め多くの街が破壊されてしまいました。ロシア帝国の長い歴史を持ちながらも、こうした事態のため歴史や伝統が破壊されるという悲惨な時代を彼らは経験してきたのです。

共産主義の行き詰まりからソ連が崩壊しました。そして、かつてのライバルであるアメリカには、経済力ではその後姿が見えないほどの差をつけられています。しかし、彼らは決して自信を失っている風には見えませんでした。特にアメリカに対しては、まるで小馬鹿にしたような態度さえとることがあります。「確かに経済ではアメリカに負けた。しかし、アメリカに文化や文明で負けたわけではない。我々は偉大な歴史を持つロシアの民である。我々はヨーロッパの起源であるギリシャやローマの歴史を受け継ぐ正当な後継者である。アメリカにはそうした歴史が無い。また、学ぶべき伝統や文化も無い。」これが彼らの本音のようです。

 ロシアでは、ソビエト崩壊後、閉ざされていたロシア正教の協会が復活し、市民の精神の拠り所となっています。また、革命や戦争で破壊されていた建物も修復が行われ、昔の美しい姿を取り戻しつつあります。私の目には、彼らがそうしたことを通じて、ロシア帝国の時代の自身と誇りを取り戻そうとしているように映りました。共産主義の箍(たが)が外れて、彼らは歴史にそのアイデンティティーを求めているかのようです。

 彼らは、共産主義を倒すことにより長い間の歴史否定の呪縛をとくことが出来ました。ロシアは、冷戦には負けましたが、自分たちの歴史を取り戻すことが出来たのです。そして、それが彼らの自信やエネルギーになっているのです。これはロシアだけではありません。冷戦の崩壊により、世界各地でこうした歴史が取り戻されようとしているのです。皮肉なことに、彼らの頭を悩ませているチェチェン問題も、共産主義の崩壊によりチェチェン人のアイデンティティーに火が着いたことから始まっているのです。


日本の政界でも冷戦の崩壊を受けて社会党が壊滅し、民主党が誕生するなど、大きな変動の渦の中にあります。しかしその変動の渦の焦点は何か、日本ではまだそれが明確には見えていません。ただ闇雲に、旧体制の破壊が繰り広げられているばかりです。

ロシアを始めとする冷戦崩壊後の世界の様子を見れば明らかなように、今、日本に必要なことは、私たち自身の歴史観なのです。敗戦の中で失われた日本人としての歴史観の復権以外に無いということを改めて確信した旅でもありました。

新産学連携による社会貢献型ビジネスモデルへのチャレンジ
マリアの風プロジェクト
生田産機工業株式会社
代表取締役社長 生 田 泰 宏


当社が京都試作ネット※(設立4 年目)の前身となるドラドラ会(経営勉強会)へ参画してすでに10年以上の歳月が流れている、当社の基幹事業は今でも伸銅設備機械の製造ですが、京都試作ネットへの参画を通じて従来マーケットに存在する自社顧客以外へ目を向けたり、「試作」というキーワードから大学、研究機関、大手企業との連携から新たな「創造」を考える機会が増えてきています。
 そんな中、当社の技術者が有する高度な「流体力学」の専門知識を他分野へ生かせないかとの思いを長年抱いていたところ、昨今の環境学習の高まりや、自然エネルギー利用の促進、省エネ活動が身近なものとして多くの人たちの関心の対象となってきている事などを背景に、小型の風力発電機を自社開発、製作してみようと思い立ちました。
と同時に、京都試作ネットメンバーの多くが所属している機青連で地域貢献事業の一環として7年以上にわたって取り組んでいた、インターンシップにおいて(学生を職場に受け入れて職業体験をさせる)風車の製造体験させることが出来れば、より実学に近い生きた職業体験の場を学生に提供させることが出来るのではないかとの話を京都試作ネットの会議で提案したところ、京都試作ネットとの交流がすでに進んでいた京都大学機械工学科、そして三菱重工業からも賛同を得ることが出来、当社を含めた4グループ連合でのプロジェクトを組んで「新産学連携インターンシッププログラム」としてこの社会貢献型事業を推進していくこととなりました。
 しかしながら世の中にはない新しい形のインターンシッププログラムですから、授業カリキュラムの作成や学生へのインターンシップ募集説明会の開催、大学側先生へのご理解と支援を得るための説明をこなし、それぞれの役割分担を明確にしながらの、手探り状態ではありましたが8月31日に無事スタートを切り、新産学連携のもとで学生達の手による風車の実像が見え隠れする状態に進んでいます。風車の完成は10月末日を予定しています。
 また、「社会貢献型」としての完成された風力発電機の使い道はとっても大事なファクターであり、国際協力機構(JICA)から南米ボリビアへ教育分野での国際貢献活動で出向されている堀先生からアイデアを出していただきました。それはプログラムで完成された風力発電機を南米ボリビアにある電力事情がとても悪い貧困地域に立地する学校に寄贈し、国際貢献に一役買おうという画期的、いや冒険的?な提案でした。
 そのため,このプログラムの母体となるプロジェクトを「マリアの風(El viento de Maria)」と名づけ,各社が協力することになりました。
 この社会貢献型インターンシッププログラムの推進を通じて、地域に根ざし、地域で雇用を行う我々中小企業にとって、従来の発想では連携出来えなかった今回の新連携による社会貢献を前面に打ち出した新しいインターンシップモデルが社会的認知を受け、大学、企業、自治体、NGO、研究機関などとの新連携につながるモデルへと発展させていく道筋を描きたいと考えます。
 そして、社会貢献事業から日本の物作りの基盤となる「人づくり」に向けた「学習モデル」の構築が工学系大学院が持つ「教育モデル」と企業側が持つ「理論と実験のモデル」とを統合させることにより可能となり、最終的には学校、地域、企業が互いに適正な利潤を上げる「社会貢献型ビジネス」のとしての成立へと発展させたいと願うものです。
 今日もわが社では4名の学生達が真剣な眼差しで、「ものづくりのプロフェッショナル」達である社員から指導を受け、世界に一台しかないオリジナル風車の完成を目指して生き生きと“ものつくり”に励んでいます。アンデスから吹くマリアの風に乗ってボリビアの地で活躍する風車を夢見ながら,頭を使い、手を動かし、実学を学んでいます。

※脚注
『京都試作ネット』とは、京都に立地し加工業を営む中小企業のグループが「試作加工に特化」して仕事を請け負うための試作専門サイトを共同で運営している企業集団で、『京都を試作の一大産地にしよう』をスローガンにしています。

瓦の独り言
羅城門の瓦
(着物を着て、七五三のお参りを・・・。)

七五三のレンタル衣装と記念写真の広告が目に付く季節になりました。

七五三は、三歳、五歳、七歳と成長の節目に氏神様にお参りしてこれまでのことを感謝し、これからの幸福と長寿をお祈りする行事で、もともとは宮中や公家の行事でしたが一般に広く行われるようになりました。乳幼児の死亡率の高かった昔は、七歳までは神の子とされ、七歳になって初めて社会の一員として認められたそうです。三歳の男女は共に「髪置き:髪を伸ばし始める」、五歳の男の子は「袴着:初めて袴をつける」、七歳の女の子は「帯解き:帯を使いはじめる」のお祝いが現代の七五三に定着しました。

 ところで、着倒れのまち、京都では七五三の衣装は着物が似合うと思うのですが、昨今の七五三参りを見ているとそうでもないらしい。関東地方では七五三の衣装はレンタルがかなり普及していますが、京都では今ひとつ普及していないようです。理由は正絹の着物への想い入れが強すぎるためではないでしょうか。七歳以下の子供に着物を着せるのは、本人は無論のこと、両親にとっても苦痛になっているようです。朝早くから美容院で着付けをしてもらっている子供もいます。子供だけで、両親まで手が回らず、両親はTシャツ・ジーンズ姿でお参りしている家族連れも見かけます。何とも様になっていないと思っているのは瓦だけでしょうか。


 室町のはじめとする呉服業界も、子供にはもちろん、大人にも着易い着物を提供できないかと思います。洋服姿の子供さんを否定するわけでは在りませんが、男の羽織袴姿には一段とりりしさが増し、女の子の着物姿にはかわいらしさが増し、子供ながらにも誇らしさが漂ってくるのではないでしょうか。ある自動車会社のコマーシャルのように「ものより、こと」。心の思い出が大切ではないでしょうか?着飾ってホテルのラウンジでの七五三のお祝いも素敵ですが、神木の生茂る神社の中で神主の「のりと」を聴くことも、子供心の思い出になるのではないでしょうか?

 何?レンタル衣装を着て、記念写真とホテルの食事だけで、お参りの無い七五三を済ます家族がいるって・・・。

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