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第40号

2004年06月20日発行

拉致事件解決のために必要なこと

京都府議会議員西田昌司

総理の外交手法の問題か

小泉総理の二度目の訪朝で、曽我さんの家族は残したものの、地村さんと蓮池さんの家族は帰国することができました。一方、横田さんはじめ拉致被害に遭われた方々の消息については、何ら新しい情報が得られず、米の支給など北朝鮮への人道的支援が再開されるということに、反発を覚える方もおられます。小泉総理の訪朝については、賛否両論があるようです。

当事者としての意識の欠如


しかし、よく考えてみれば、残念ながら現在の日本の安全保障体制では、誰が総理大臣であっても、拉致事件の全面的解決はあり得ないのではないでしょうか。北朝鮮は、日本に対してミサイルを配備し、核兵器まで開発を準備していると言われています。これに対して日本では、そうした事実を知った今も、北朝鮮への人道支援を見合わせたり、経済的制裁の効果を上げるために北朝鮮籍の船の入港を拒否できる法律(特定船舶入港禁止法案)が検討されたりしてきただけです。北朝鮮の攻撃から日本を守るための防衛手段については、相変わらず何も講じられていないのです。自国民が不当に拉致され、自国に向けた核兵器が準備されようとも、それに対する自主防衛策は何一つ取られていないし、そのことについて問題ありという声さえも出てこないのが現実なのです。そして、日本のこうした状況を知っているから、北朝鮮は誠意ある対応をしないのです。北朝鮮は日本を外交交渉の相手とは認めず、北朝鮮に対して攻撃能力のあるアメリカにしか目を向けていないのです。従って、北朝鮮の核開発など、安全保障上の根本的なことについては日朝間で話がされるのではなく、アメリカ・中国・ロシアそして韓国を交えた六カ国協議に委ねられているのです。

アメリカ頼みの外交・安全保障の限界

実はそのことを日本人自身もよく分かっていて、日本政府も拉致事件を六カ国協議の議題にしてほしいとアメリカにその協力を要請し、拉致被害者のご家族もアメリカの政府高官に直接陳情しています。そして、拉致事件のみならず北朝鮮の核の脅威から日本を守るためにも、アメリカとの同盟強化が一番の国益であると考えている国民が大半ではないでしょうか。

イラクの自衛隊派遣がこうした考えの延長線上にあるのは言うまでもありません。一応建前としては、イラク復興に協力をし、国際貢献をすることが大義名分とされています。しかし、そもそもイラクを破壊したアメリカがその大義名分を明らかにでき得ない状況にあるのです。大量破壊兵器は見つからず、民主化をすればするほど反米感情が高まり、アメリカは完全に隘路に陥っています。こうした状況下での自衛隊のイラク派遣の意味することは、日本がアメリカへの協力姿勢を国際的に明らかにしたということです。日本に取っては国際貢献より対米協力が重要だとほとんどの国民も思っているようです。

しかし、北朝鮮のミサイルの射程の完全な内にある日本にとって、北朝鮮問題は死活問題であっても、射程がわずかにかかる程度で、遠く離れているアメリカにとってはそれほど重要な問題ではありません。アメリカは北朝鮮よりもむしろ、そのバックにいる中国の意向に配慮しながら外交をしているのです。


ところで、北朝鮮は核兵器という大量破壊兵器の開発を準備し、間違いなく国民に圧制を敷いています。イラクにしたようにアメリカが攻撃したらどうなるでしょう。そうなれば、いくら北朝鮮でもひとたまりもないでしょう。北朝鮮は崩壊し、韓国に併合されることになるでしょう。韓国にはアメリカ軍が駐留しています。その結果、中国はアメリカ軍と直接国境を接することになるのです。こうした事態を中国は断じて認めないでしょう。また、アメリカにとっても、中国と緊張関係を高めるのは得策ではありません。北朝鮮問題に下手に関わることにより、世界最大の市場になる可能性の高い中国と敵対関係になることは、アメリカの国益を損なうことになるからです。日本にとってアメリカの軍事力は非常に頼りに見えても、それが日本のために使われるものではなく、アメリカの国益のために使われるものであるということを、私たちは知っておかねばならないのです。

大切なことは独立自尊の気概

北朝鮮による拉致事件を解決するには、まず、日本人が自分の国は自分で守るという当たり前のことに気がつかねば、根本的な解決はあり得ないのではないでしょうか。今日のように、日本人自身が、当事者としての問題意識を欠いていては、誰が訪朝しようとも拉致事件を解決できるはずがないのです。拉致事件を契機に、我が国の安全保障を、特に自主防衛という独立国にとって当たり前のことの必要性を国民世論として広げることが、拉致事件解決のただ一つの道なのです。

グローカルコンソーシアム
『京都試作ネット』がめぜすもの


京都試作ネット 代表  鈴木 三郎


 『京都試作ネット』とは、京都に立地し加工業を営む中小企業のグループが、インターネット上で「試作加工に特化」して仕事を請け負うための試作専門サイトを共同で運営している企業集団です。21世紀に突入した2001年7月にサイトをオープンし、お陰さまで、全国各地からこれまでに約800件を超える引き合いを受けています。

 表題のサブタイトルにも揚げました、グローカルコンソーシアムとはグローバル(地球的)な視点で考え、ローカル(地域的)に活動する企業連合という意味です。この京都試作ネットを立ち上げるにあたって、我々は、「なぜ、何のために」この活動をするのか? そして何を実現したいのかについて議論に議論を重ねました。その結果、共有できるものとして生み出したのが以下のようなものです。

【目的】
 ?企業としても生活者としても真に自立すること。

   自立とは、自ら考え、自ら判断し、自ら決断して、自らの責任で行動すること

 ?これからの時代に必要とされる「モノづくり」のビジネスモデルを作り上げ、次世代の人たちが繁栄でき、「夢」をもってモノづくりができる環境を残す。

 ?「試作」という高度なモノづくりを通じて人が人として成長する場を提供する。

【目標・ビジョン】京都を「試作」の一大集積地にする。

【行動指針】グローカルコンソーシアム。グローバルな視点と一社で出来ないことを地域で連合を組むことで成し遂げていく。連合体(全体)が良くなることで、それぞれの企業(個)も繁栄する。

【仮説】中国が「世界の工場」なら、日本は「世界の開発センター」になり、日本の高度なモノづくり技術で世界に貢献し、繁栄すればいい。その時「試作」が重要になる。


 グローバルな視点を持つということは、自分達の属する“国家”という概念を持つことにつながります。またローカルに活動するということは、自分達の生活の基盤である「地域を発展させるために自らが何をなすべきか」ということを問うことにつながります。“誰か”が何かをしてくれるという他人任せから、自らが何をなすのかを考え実行する、真の自立が必要なのではないでしょうか。

 京都は、1200年を超える“みやこ”としての歴史があります。その時代々の先端技術を駆使したモノづくりの歴史があり、一流のモノづくりの感性があります。

このような地域としての共有資産をいかに活かし、これからをいかに時代にマッチしたビジネス様式に変えていくかは、我々一人ひとりに課せられた課題です。時代と共に老朽化し、閉塞状態になった事業を再生させるのは、今を生きる我々に与えられた使命ではないでしょうか。自分達のことは、自分達で考え自分達で行動することが問われているのではないでしょうか。勿論、今のような変化の激しい時代は、一人や一社でだけで新しいモデルを作り出すことは困難です。だから思いを同じくする者が集まって智恵を出し合い、果敢にチャレンジして行くことが重要になると思います。また、そうしたチャレンジする集団に対して、地域ぐるみで支援していくことも、地域の産業再生を成功に導く大きな要素となると思います。

企業も行政も政治も本来的な目的は、そこに所属する“人びと”が幸福に暮らせるようにすることではないでしょうか。それぞれがバラバラに良かれと思うことをやっていたのでは、力が分散し成果には結びつきません。非常にもったいない話です。今こそ、その共通の目的の前に、企業経営者も行政や政治に携わる人々も、垣根を越えて、オール京都で力を結集し立ち向かう時ではないでしょうか。

ものごとの始まりは全て小さなことからスタートします。それがやがては塊になり、そしてある時点で一挙に大きな集積となるときがくる。その転換点は人々の「意識の変化」であると我々は信じています。『京都試作ネット』は、今はまだ小さな組織でしかありません。我々のビジョンや取り組みに賛同していただける人々や企業が少しずつ増えてくることを信じて、日々活動をしています。

アンデスにもあった海の日

羅城門の樋

 今回も南米からの報告です。ボリビアは9割がカトリック教徒で,街のいたるところに寺院があります。3月の日曜日に街の中心にある聖フランシスコ教会を訪れました。(この教会の外壁はインカ文明の面影を残しています。滅ぼされた文明の抵抗でしょうか。)この教会の広場では,日夜様々な催しが行われます。野外ロックコンサートもあれば,移動遊園地にもなります。ちょうどこの日は,集会を行っていました。いつもの野次馬根性で覗きに行くと,真っ赤な制服に着剣した銃を持った大統領府近衛連隊も参加しています。思わず隣の人に聞きました。「これは何の集会ですか。」いぶかしげに私を見た男性が,日本人だと判ると丁寧に説明してくれました。「もうすぐ海の日です。それで商工団体が集会を開いているのです。」「海の日なら日本にもあります。だけど盛大ですね。」その意味を聞こうとしたとき,軍楽隊が国歌を演奏しだしました。彼は口に指をあて姿勢を正しました。周りを見ると私に靴を磨かせとしつこく言い寄ってきた少年も「気を付け」をしています。道を歩いていた大人たちも立ち止まり,ある人は帽子を脱ぎました。(海の日とはチリとの125年前の戦争で唯一の海岸を失った日です。我が国風では臥薪嘗胆,因みに近衛兵が着ている制服は当時の軍服だそうです。この1週間は職場や学校で,失った海を取り戻すための様々な行事が行われます。国歌演奏の後で教えてもらった話です。)

 そういえば,我が国にも「北方領土」の問題がありましたね。しかし,国を挙げてこの問題を考えるというのは,ついぞ聞いたことがありません。あちらは百年以上も前の話,こちらはその半分の年月です。また,国歌の演奏が流れたからといって,話しをやめたり立ち止まるという話も聞きません。(そう言えば,式の最中に国歌が流れたら座るという話は聞いたことがありますが。)近くで不動の姿勢をしている靴磨きの少年(小学校の3・4年ぐらいかな)を見ながらふと思いました。『国は君に勉学の機会さえ十分に与えていない。それでも君は国を愛するのか,国に忠誠を誓うのか』と。

 夜に,財務省の友人と食事をしながら,その日の出来事について話をしました。海と開発の話は当然として,靴磨きの少年の話も出ました。彼は驚き顔で言いました。「国と個人はギブアンドテイクではない。この国はすべての国民に充分な生活を保障するほど豊かではない。」「しかし,国民の多くはこの国に生まれ,この大地で生きていくことに感謝している。これは神と国への感謝の気持ちだ。」と。権利と義務の関係でしか少年を見られなかった自分の偏狭さを思い知らされた一日でした。自分の境遇を嘆くのではなく,その中で精一杯働き,幼いながらも家族の生活を支える少年のたくましさを通して,人の誇りについて考えさせられる一日でもありました。

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