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第34号

2003年01月01日発行

新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします
−議員生活13年の中で感じたこと−

京都府議会議員西田昌司

時代の為に何を残すか・・・
伝えよう!美しい精神(こころ)と自然(こくど)

−議員生活13年の中で感じたこと−

 私が府議会に議席を得たのは平成2年4月、荒巻知事の2期目の選挙と同時に行われた補欠選挙の時であり、あれから13年の歳月が流れました。この間に東西ベルリンの壁が崩壊し、ソビエトがロシアに変わり、自民党が政権から下野するなど、歴史の大きなうねりの中で議員生活を送ってまいりました。自由主義対共産主義という時代が終わり、反共以外に何を政治の機軸にするのかが問われる時代に、私の議員生活は始まりました。
 議会の中で共産党ともよく議論をしました。その中で私が気づいたのは、共産党の主張は共産主義に基づくものばかりではないということです。共産主義が間違いだということは言うまでもありません。しかし、共産主義ではなく住民の要望や要求だといわれればどうでしょうか。「共産党の主張は財源無視した無責任な政策だ」と言う議員もいます。確かにそのとおりです。では、財源があれば正しいのでしょうか。もっと根本的に、共産党の主張の何が間違っているのでしょうか。私の結論は、「共産党の主張は一部の国民の意見や要望だけで、日本全体の利益を考えていない」、また「次の世代の利益も、国の礎をつくった先人に対する敬意もない。つまり、利己主義に過ぎない」ということです。このことは共産党だけでなく、戦後政治についても言えることではないでしょうか。目先の利益ばかりに走り、歴史観に欠け、日本全体の利益をないがしろにしてはこなかったでしょうか。
 例えば族議員の問題です。彼らは、確かに一部の業界や地域の利益は代弁してきたかも知れません。しかし、国全体の利益をおろそかにしてはこなかったでしょうか。民主主義が成立する為には、個々人が自分の利益を追求するだけでなく、社会全体の立場に立った議論が必要です。つまり、公の精神が欠如した要望は単なる利己主義に過ぎないということです。そういう意味では、戦後の政治は公の精神が欠け、利己主義に陥っているのではないでしょうか。公の精神無しに、一部の意見を国民の声として代弁してきたのではないでしょうか。

−戦前と戦後の違い−

 公のことを議論すべき政治の場が何故、いつから、私欲代弁の場になったのでしょう。それは、敗戦により政治の世界から公の精神が消滅したからではないでしょうか。言うまでもなく、公の延長線上に国があります。従って、公の精神は当然国のことを考えることに通ずるものです。しかし、戦後社会は「国の為に戦争が起き、多くの犠牲者が出た。これからは国の為ではなく、自分の為に生きるべきだ」という倒錯した精神構造を造り出してしまいました。こうした敗戦によるトラウマ(心の傷)が戦後政治から公の精神を消滅させ、同時に、国民から歴史観を奪ったのです。戦前と戦後に歴史の大きな断絶を生み出してしまい、戦後の日本人は過去を全て否定してきた為、自らの歴史を語ることができなくなったのです。しかし、今日の日本があるのは間違いなく先人の犠牲や努力のおかげです。戦前の日本が子供のために一所懸命働き続けてきたとすれば、戦後の日本は親の恩恵にあずかっていることも知らず、その遺産の上にあぐらをかき、放蕩しているドラ息子と同じではないでしょうか。

−バブル崩壊後の日本から見えるもの−

 その放蕩の象徴であるバブルが終わってから十数年が経ちました。この年月は失われた十年と言われますが、一体何を失ったのでしょう。もちろんお金や財産も無くしました。でも、一番失ったのは自信ではないでしょうか。こうすれば必ず成功するという成功の方程式を無くしてしまい、立ちすくんでいるのが日本の現状でしょう。かつては難しいことなど考えずとも、ただひたすら一所懸命に働いていれば、豊かになり、幸せになれました。しかし、今では一所懸命働いてもかつてのように豊かになれないし、幸せになれそうにもないというのが実感でしょう。ところが、現実の日本は世界有数の経済大国であり世界一の長寿国であり、更には大戦後一度の戦争も経験していない世界有数の平和な国なのです。にもかかわらず、豊かさ幸せも実感できない国になったということが本当の問題なのです。

−日本の目指すべきことと私の使命−

 現代日本の問題は、結局、人生の目的や意義を飽食の中で見失ってしまい、その為の孤独感や焦燥感が引き起こしたことではないでしょうか。このことは日本だけの問題ではなく、先進国が必ず通過しなければならない問題なのです。かつてローマは、パンとサーカスに明け暮れ、生きる目的を見失った為、自ら崩壊してしまいました。日本もローマと同じ道を歩んでいるのではないでしょうか。
 人生の目的や意義は、人それぞれ考えるべきことですが、私は次のように思います。 自分が生きているということは、自分の両親が存在していたことを証明しています。その両親にも両親がある訳です。例えば、仮に日本歴史を2000年、一世代を30年とすると70代に及ぶ祖先がいることになりますが、いったい何人だと思いますか。その数は2の70乗という天文学的な数字になります。そしてこのうちのただ一人が欠けても、私の存在がないというのです。このことは、果てしない生命の連続の上に自分があるということを、否が応でも教えてくれます。そして生命の連鎖の中にある自分がすべきことは、この繋がりをいかに次の世代に伝えるかということ以外にほかありません。生命の連続に感謝し、今を一所懸命に、真剣に生き抜き、次の世代に自分が生きた証をしっかり伝える、これが私にとっての人生の意義です。これを国で考えると、国の歴史の積み重ねをしっかりと受け継ぎ、次世代にそれを受け渡すということでしょう。

先祖から受け継いできたものはたくさんあります。でも、自分を自分たらしめているものは何かと問えば、やはり、肉体と精神でしょう。肉体は文字通り遺伝です。精神は遺伝と同時に、家族や友人や社会との関係が複雑に影響したもので、言い換えれば、その人の生き様が作り出したものではないでしょうか。そして、このことを国に当てはめると、我々が先人から受け継いできたものは、自然環境を含めた国土と精神の形としての文化や伝統ということではないでしょうか。
 私はこうした思いから、「伝えよう!美しい精神(こころ)と自然(こくど)」と何年も前から訴えているのです。そしてこの言葉が広がることにより、政治に歴史観と公の精神がよみがえり、私たちの生活に希望と期待を取り戻すことこそが私の使命だと思うのです。



21世紀に相応しい昌友会活動の発展を目指して
〜SHOW YOU編集室〜



 今年は統一地方選挙の年です。西田昌司先生も五期目の当選を目指し,新年から心を新たに「理想の政治」を実現するためにがんばっています。この西田昌司先生の「理念と行動」を広報するために,編集室の役割や活動の在り方を話し合いました。西田昌司先生には,西田会を母体とした「昌友会」と政治の在り方を皆様と共に語る「昌友塾」の二つの日常活動があります。このような活動をわかり易く広めて行き,皆様方に気楽にご参加いただけるようにすることも編集室の務めであると考えます。新年号を発刊するに当り,編集室がこの紙面を借り,これからの編集方針を考えることにしました。


◆混迷と言うには論議が少なく,むしろ,混沌と言った方が良いような時代になって来たと思います。心の問題や自分の生き方が厳しく問われているのでしょうが,これを自分に問いかける作業は,やはり一人ではしんどいことです。こんな時にこそ,「昌友塾」のような話し合える場や自分の意思を表明する場があり,参加者と共にみんなで考えるという姿勢を持てることは,有意義なことです。


◆参加することで,顔の見える話し合いができます。この中で自分の生き方や考えを出し,人の意見を聞くことでまた自分に返ることが多いと参加者からよく聞きます。毎回テーマは違いますが,曼荼羅のように参加する総ての人の考えが,何か一つの大きな絵を描いているように思います。言葉だけの世界ではなく,それが西田昌司の理念となり政治の仕組みとなって表現されていくのだと思います。


◆まさにその海図というべきものが,今必要なのだと思います。西田昌司が我々府民を何処に連れて行こうとしているのか。羅針盤と言うべきかもしれませんが,理念と行動指針を明らかにし,参加していただく皆さんに自分の立場から役割を作っていただく,そんな昌友会であり昌友塾でありたいです。

◆その海図がこの新年号の役割であり,理念を明らかにするのが「政論パート?」であり,各々の行動指針はSHOW YOUの各号に載せていくことになると思います。


◆昌友会と昌友塾とでは,それぞれ結集軸が異なってきています。塾に参加している人にも意見を表現する場が必要です。会報に意見を書いたり,次回の本作りに意見として参加してもらうなど,各人が西田昌司の理念や行動の裾野を広げる役割を主体的に担ってもらう取組みを具体化できればと思っています。編集室としても具体的な行動を提案していければと思います。

今世紀は,20世紀のように経済や財政を通して世の中の仕組みを考える,そんな時代ではなくなっています。「成熟」という名の下の「経済成長の停滞」,「グローバル」という名の下の「世界経済の再編」,「国際秩序」という名の下の「一極支配」など,今までの政治や経済の仕組みが大きく転換しようとしています。この変化は政治や経済ばかりでなく,教育を初めとした我々の身近な分野でも起きています。今まで当たり前と思っていた様々な施策や福祉の分野とて例外ではありません。新たな見方や考え方・価値観を生み出すまでには多くの混乱がありますが,この“パラダイム(枠組み)の転換”の時期に,西田昌司先生が「混沌の世に海図を示す」ことは大きな意義があります。私たち編集室はこの海図を基に,初心に立ちかえり広報活動に勤めてまいります。

瓦の独り言
羅城門の瓦
−豚まんに見る東京一極集中化−

 一昨年は狂牛病で暮れ、昨年は牛肉の産地の偽装工作で暮れました。

さて、お肉と言えば京都では「牛肉」のことを言い、豚肉はあえて「ブタ肉」といっています。しかし、今コンビニで売っている「肉まん」には、牛肉が使われていると思っている人が多いのではないでしょうか。本来は「豚まん」」と呼ぶべきで、これが京都の、いや関西の「常識」ですが、いつの間にか日本列島の大半が「豚肉入りの中華饅頭」を「肉まん」と呼ぶようになっています。「肉まん」の名前は東京から発信され、これが全国に伝わり、東京一極集中化現象が「豚まん」にも見られ、関西人にとっては由々しき現象です。(・・たいそうな話やな)

 なぜ、「豚まん」と「肉まん」の呼び方の違いがあるかといえば、関西では肉といえば「牛肉」をさすのに対して、関東では「豚肉」を好んでいるのが原因です。消費量も違いますし、1ヶ月の所帯あたりの牛肉消費量の1位は奈良県で、和歌山、滋賀、京都と上位6県は関西が占めています。それほどに、関西は「牛肉文化」なのです。この違いが、料理の世界にも現れ、「肉じゃが」は関西では「牛肉」を使いますが、関東では「豚肉」になり、この境界線は、愛知県の豊橋市あたりといわれています。カップ麺の「どん兵衛」もこの法則を遵守しています。北海道も肉といえば豚肉で、牛肉のすき焼きを食べたければ、「牛肉」と指名しなければなりません。

 文明開化と「牛なべ」は切れない関係で、福沢諭吉まで明治時代に「肉食の説」なる文章をしたため、牛肉・牛乳の滋養のPRに努めたそうです。しかし、なぜ牛肉が西日本中心型で展開したかといえば、もともと西日本は水田が多く、農耕に牛が用いられていた。その関係で和牛の飼育が盛んであったことも、今日の牛肉市場を支えているのです。一方、関東以北は水田に恵まれず、放牧が盛んで、牛より馬が中心であり、馬肉を食べるよりは飼育しやすく、よく肥える豚が主流となったためです。

 さて、「声に出して読みたい日本語」の中に「豚まん」は出てきませんが、「正しい日本語」から言えば東京の「肉まん」は明らかに間違っていると、ぶつぶつつぶやいているのは、瓦ひとりだけでしょうか?

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