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第83号

2015年07月10日発行

平和安全法制の整備のために

参議院議員西田昌司

何故、憲法学者は違憲と言うのか

テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル〜カジノは日本を救う?滅ぼす?〜』に出演しました

 平和安全法制の審議をしている最中、衆議院の憲法審査会で自民党が参考人として招致した学者が、平和安全法制は、憲法違反だと主張しました。
 集団的自衛権を認める平和安全法制は憲法違反であり、やるならまず憲法改正をすべきだと言うのが、彼らの主張です。憲法は集団的自衛権を認めておらず、憲法が認めていないことを法制することは立憲主義に反すると言うのです。なるほど憲法には次のように書かれています。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 しかし、そもそもこの条文からは集団的自衛権はおろか、個別の自衛権すら認められているようには見えません。ましてや、自衛隊など認められるはずもありません。事実、昭和21年の日本国憲法制定時、「日本国憲法は、自衛権を否定するのか」との共産党からの質問に、吉田総理は、「戦争放棄に関する規定は、直接には自衛権を否定していないが、第9 条第2 項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄したものであります。」(昭和21 年6 月26 日)と答えています。
 つまり、憲法制定時には、自衛権すら我国は否定してきたのです。それなのになぜ自衛隊が存在するのか。このことを疑問に感じていた人も多いはずです。私もその一人でしたが、この根本的な矛盾についてもう一度考えてみたいと思います。

自衛隊ができた経緯

 憲法制定時には、自衛権も放棄したと国会で答弁していた吉田総理でしたが、昭和25年1月、日本の独立を見越して「独立を回復した以上は自衛権は存する。武力なしといえども自衛権はある」と自衛権の存在を一転して認めることになります。さらに同年6月、北朝鮮が韓国に38度線を越えて侵攻したことにより、朝鮮戦争が勃発します。日本に駐留していた米軍が北朝鮮に出撃したことにより、日本の防衛は空洞化してしまいます。そこでGHQは日本に再軍備を要請することになります。
 日本は当時まだ占領中ですから、GHQの命令は絶対です。 しかし、ついこの前までは自衛権すらないと明言し武力放棄を宣言していたため、さすがに軍隊を持つと言うわけにはいきません。そこで苦肉の策として軍隊ではなく警察予備隊として自衛隊が発足したのです。

憲法と自衛隊の矛盾はGHQの政策変更が原因

 矛盾があるのは、GHQの占領政策が占領前期と後期では180度転換したためだったのです。
 占領前期は、日本を完全に軍事的に解体し無力化することと、アメリカに弓を引いた政府の責任者を戦争犯罪人として処刑し、日本を懲らしめることを目的としていました。東京裁判での戦犯処刑の他にもたくさんの懲らしめが有ったのです。これは最近私も知ったのですが、昭和21年から28年まで政府の予算に終戦処理費が計上されています。これはGHQの駐留経費に使われていたものです。昭和21年と22年は予算のうちの3割以上を23年は2割以上を終戦処理費が占めていました。戦争中よりも敗戦後の方が生活が苦しかったとよく言われますが、予算を国民のためではなくGHQのために使っていたのですから当然です。まさに日本はGHQに懲らしめられていたのです。
 ところが、昭和25年以降はアメリカの占領政策は懲らしめから保護援助に一転します。その背景にあったのが朝鮮戦争に象徴される東西冷戦の激化です。かつてのナチスと日本の支配地で次々と共産主義国が成立し、アメリカは強い危機感を抱き、世界中でこれ以上共産主義勢力を増やさないためにも、日本をアジアにおける反共の砦として保護し援助する必要があったのです。GHQの占領政策の変更と朝鮮戦争の特需を契機として、日本の経済はようやく復興へ向かうことになったのです。

安保条約の成立の経緯

地方・消費者問題に関する特別委員長として、本会議にて委員長報告をいたしました

 アメリカの占領政策の変更を、吉田総理は日本の独立のチャンスだと考えていました。東西冷戦が激しさを増す中、ソビエトをも含めた全面講和は事実上不可能と考え、アメリカを始めとする西側諸国との単独講和を選択したのです。しかし、独立するとなると占領軍は撤退をし、自分の国は自分で守ることが必要となります。残念ながら、当時の日本は復興が緒に着いたばかりで、自主防衛の負担には耐えられないと吉田総理は考えていました。また、アメリカも東西冷戦が激化する中、日本に米軍基地を保有することは軍事的にも有利だと考えていました。
 こうした思惑の一致から、占領が終わったにも拘わらず米軍が日本に引き続き駐留することを認めた日米安全保障条約が成立するのです。当初は日本の希望で米軍が駐留すると言う片務的な条約でした。しかし、昭和30年の改正で日本が基地を提供しアメリカが日本の安全に寄与すると言う双務的な体裁に変えられ今日に至っています。
以上のように憲法と自衛隊の矛盾はGHQの占領政策の変更が原因なのです。

立憲主義を主張する学者の根本的矛盾

 では、この根本的矛盾を憲法学者達はどのように説明しているのでしょう。彼らは、独立国である以上自然権として自衛権はあるといいます。自然権として、とは生まれながらにしてという意味ですが、独立国として当然の権利だというのです。これは政府の見解と同じですが、ここに私は無理が有ると思っています。
 といいますのも、先に述べたように、そもそも憲法制定時に吉田総理が自衛権も放棄するという旨を国会で答弁しているのです。憲法制定時に自衛権を放棄すると明言したものが、その後自然権として自衛権はあると言うのは明らかに矛盾するものです。立憲主義を主張するなら、この時点で憲法を変更しなければならなかったはずです。再軍備と言う重大な憲法違反事象について、立憲主義者たちは自然権と言う言葉を持ち出して事実上解釈変更を認めているのです。
 にも拘わらず、自然権としての自衛権を個別的と集団的に区分して、個別的自衛権は認められるが集団的自衛権は認められないと言うのは、まさに机上の空論と言うほかありません。再軍備と言う根本矛盾に目をつむって、自衛権を個別的、集団的に区分して個別的は合憲だが集団的は違憲だという議論は滑稽ですらあります。

政府の誤り

 残念ながら、そうした解釈を実は政府自身もしてきたのです。平和安全法制の制定は自然権としての自衛権を行使できるための法制備ですから、独立国である以上当然のことです。本来、日本が主権を回復した時点で、こうした法整備はしておくべきだったのです。
 しかし、法整備をするためには憲法の抱える根本矛盾を理解しておかねばなりません。つまり憲法は占領を前提として作られたいわば占領基本法であり、その制定過程も含め独立国としての憲法たり得ないということです。ところが、それを国民に説明していないばかりか、いまだに学校の現場では、我々は戦争を反省し戦争を放棄したのだ、平和国家として生まれ変わったのだと教えているのです。これでは国民が平和法制の必要性を理解できないのも当然です。

自衛隊の発足により事実上占領基本法たる憲法は廃棄されていた

西田昌司国政報告会2015を開催いたしました。多くの皆様にご来場いただき、誠にありがとうございました

 一方で、占領終盤になって独立国である以上自衛権は存するという吉田総理の発言は、占領基本法たる憲法を廃棄するという宣言とも受け取れます。事実、再軍備をし、サンフランシスコ講和条約が発効したのですから、この時点で占領基本法たる憲法は事実上無効になったとも解釈できます。問題はその無効宣言を発していなかったことです。独立を回復した時点の国会で占領基本法たる憲法の無効宣言をすれば、元の明治憲法が蘇ります。そして、明治憲法が軍部の独走を許したことを踏まえて不備な点を改正すべきだったのです。正に、大東亜戦争に至る国の歴史そのものを日本人自らが見つめ反省すべきであったのです。

国民が占領時代の事実を知ることが全ての始まり

 しかし、無効宣言をするには、国民が憲法制定の経緯やその目的など、GHQが占領時代に行ってきた事実を知らねばなりません。国民の理解を得るためには国会における議論が必要なのです。残念ながら、この総括をしてこなかった結果、逆にGHQが占領時代に行ってきた政策が正当化されて国民に伝えられているのです。これでは日本は永久に占領政策から脱却できませんし、真の独立を果たすことなど不可能です。

野党は何時から自衛隊を合憲とみなしたのか

 平和安全法制を違憲だと言う野党もさすがに自衛隊は合憲と見ているようです。もっとも、再軍備をしたときには社会党など当時の野党は、自衛隊は憲法違反だとその存在を終始認めない立場でいました。そのため各地域で行われた成人式の式典に自衛官が参加しようとすれば、それをボイコットするなど自衛官を侮辱する卑劣な行為が行われていました。ところが、平成6年に村山内閣が発足し社会党の委員長が総理大臣になると、さすがに彼らも自衛隊を合憲と認めざるを得なくなりました。独立国の総理大臣になれば、自衛権を認めないわけにはいかないのは当然です。これを契機に自衛隊は野党も、また、その周辺の学者も合憲と判断する様になったのです。
 現実の政治の前では、憲法よりも自然権としての自衛権の方が優先するという結果になったわけです。それなら、野党が自衛隊を違憲としてきた過去を反省して総括をすべきだったのです。国民にも日本国憲法の問題点を理解する良い機会であったはずなのです。しかし、ここでもまた日本国憲法の欺瞞性が議論される事はありませんでした。

平和安全法制は独立国なら当たり前

 自分の国は自分で守る。そのためには時として友好国と協力し合うことも必要である。これは独立国ならどの国にも当てはまる当たり前の話です。しかし、具体的にどのケースがこうしたことに当てはまるかは、ケースバイケースで判断すると言うのが現実でしょう。それを重箱の隅をつつくような議論をしてもほとんど意味はありません。
 むしろ議論をすべきは、いろいろな事態を想定して議論をしておいても、その想定を超える事態が生じることが現実の世界ではままあると言うことです。その様な想定を超えた非常事態に対処するのが政治の責務です。独立国が有する自然権としての自衛権を行使するには、まさにこうした事態に対応できる法制度を持っておかねばなりません。今回の平和安全法制の整備は、正にその第一歩になるものです。独立国ならどこの国でも整備しているものです。

戦後の総括こそ必要

 平和安全法制の整備は独立国として当然のことですが、それを国民に理解してもらうには、日本国憲法がその制定過程においてもまた内容においても、独立国の憲法としては不適格だと言うことを国民にしっかりと伝えなければなりません。このことを国民に伝えずして、立法化は難しいでしょう。また、たとえ立法化できても、日本国憲法の根本的矛盾を国民が理解しない限り、真の独立国になる事はできません。平和安全法制の整備が真の独立国になるためのものだからこそ、憲法の制定を始めとする占領時代にGHQが行ってきたことを国民の前で総括をしておく必要があるのです。

瓦の独り言
−舞妓さんは頭の先から爪先まで伝統工芸品−


羅生門の瓦

 京都岡崎の赤い大きな鳥居の近くに、京都の伝統工芸品の粋が観られるところがあります。それが「京都伝統産業ふれあい館」、「知る人ぞ知る」伝統工芸品のミュージアムです。
 794年に平安京が建設され都として栄えた京都は、日本の政治、文化、産業の中心地として発展してきました。数々の工芸品は、こうした歴史的背景のもと、町衆の暮らしの中で大切に育てられたいにしえの心と共に生み出されてきており、「京都伝統産業ふれあい館」は今なお受け継がれ、京の町に息づいている美と技の世界をより多くの人々に感じていただくための、伝統産業と文化と人との出会いの場を提供しています。
 館内では伝統工芸品74品目ひとつひとつにスポットをあて、約500点を展示していますが、日曜日(4月から第三日曜日のみ)になると舞妓さんの「おどり」が観られます。舞妓さんの衣装は頭の簪から、爪先の足袋まで京都の伝統工芸品をまとっておられます。「おどり」も大事ですが「御衣裳」の解説を聴いていただくことにも重点をおいています。特に「花かんざし」「京足袋」を作っている業者さんは京都市内で1軒だけになってしまっています。この業者さんが、廃業すれば京都の伝統文化である「舞妓」さんが存続できなくなってしまいます。このような危機感をもって舞妓さんの「おどり」を観ていただくと、また京都の伝統文化に関する異なった視かたが出来るのではないでしょうか?
 なぜ、こんな文章を瓦が書いているのか、いぶかる方がおられると思います。実はこの舞妓舞台の解説をしているのが瓦自身に他ならないのです。是非、舞妓舞台を見ていただいて、西田昌司先生も憂いておられる「京都の伝統産業」の在り方を考えていただければ幸いです。

*京都伝統産業ふれあい館の開館時間 午前9時〜午後5時
*入場料 無料(なななんと、舞妓舞台も無料です)
*連絡先〒606-8343 京都市左京区岡崎成勝寺町9番地1「みやこめっせ」地下1階
*☎075−762−2670
*交通アクセス
・地下鉄「東西線」「東山駅」から徒歩8分
・市バス「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前
*舞妓舞台 毎月第3日曜日 (14:00〜15:00)3回 

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