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第29号

2001年10月15日発行

世界は今、自分のアイデンティティーを探している!!
・・・アメリカのテロと台湾訪問をして・・・

京都府議会議員西田昌司


さる9月11日アメリカで起きた同時多発テロは、世界中を震撼させました。私はこのテレビニュースを台湾高雄市のホテルで見ました。その時、台湾の次代のリーダーである馬英九台北市長(国民党 ハーバード大留学)や謝長廷高雄市長(民進党 京大留学)をはじめとする方々と積極的な交流をするために、私は京都府議会日華親善懇話会の会長として、10人の議員と一緒に台湾を訪問していました。

次の日の新聞には、「真珠湾的自殺攻撃」という大見出しが踊っており、アメリカのニュースなどでもパールハーバーという言葉がよく使われています。しかし、私は、今回のテロと真珠湾作戦とはまったく違うものだと思います。アメリカにとっては、自国の領土が他国民に攻められたという意味で、また「奇襲」という意味で、真珠湾と似ているかもしれません。しかし、真珠湾作戦は、軍事施設の破壊を目的としたものであるのに対して、今回のテロは市民社会を直接狙ったものであり、その意味では、アメリカ自身が行った原爆投下や都市への大空襲のほうが、本質は似ています。かつての日本軍の特攻と同じように、捨て身の自殺攻撃ということが日本を思い出させ、奇襲という意味で真珠湾作戦が取りざたされているだけで、まったく違うのです。このことを日本人として、認識しておくべきです。日本人がこのような無差別殺人をしたことは、歴史上ありませんし、そもそも日本人の価値観と相容れるものではないのです。
 さて、このテロの原因についていろいろ取りざたされていますが、いかなる理由にしろ一般市民に対する無差別殺人は肯定しようがありません。日本はアメリカの同盟国として、また、私たちの価値観に基づいても、断固とした態度でこれに対処しなければなりません。
 ところが、マスコミの中には、報復反対という意見も報じられています。その理由として、アメリカにもその責めがあるのではないかとか、日本が戦争に巻き込まれる恐れがある等々が報じられています。私はこの考え方には、到底賛成できません。確かに、暴力反対や反戦平和という言葉は、理想としては正しいかもしれません。しかし、現実問題として、世界には暴力や戦争が存在するのです。あの一瞬にして何千人の市民が殺されてしまう様子を目の当たりにしながら、この言葉を吐く人の神経を疑ってしまいます。自分の家族がこのような目に会って、この人達は同じ言葉が言えるのでしょうか。戦後半世紀、日本は世界でも例外的に平和な社会を築くことが出来ました。現実の戦争と全く無縁でいたため、戦争というものが存在することすら意識せずに暮らしてきました。そのために、現実にある戦争や暴力を、如何にして無くしていくかという思考が出来なくなったようです。そして、あってはならないものは最初から無いものとして考えてしまい、戦争や暴力があるという現実には目を向けずに、現実逃避の中で暮らす癖がついたようです。
 しかし、これは、日本が自国の防衛ということすら考えなくてもいい冷戦時代だったから通じたことで、これからの時代では通用するはずもありません。そのことは、10年前の湾岸戦争を思い出せば分かります。イラクのクウェート侵略という暴力に対して、世界中が立ち上がったときに、日本は何をしたのでしょう。戦争に関わるのは絶対反対とういう世論に押されて、お金だけ出して済ませてしまいました。その結果はご存知の通り、日本は世界中から、「自分のことしか考えない利己主義者」として、物笑いの種になったのです。現実を直視できない利己主義では、国際社会の中では認められません。このことを日本は教訓としなければなりません。
 しかし、今回の事件は、アメリカと協調して国際テロリズムと対峙するということとは別に、日本人として考えさせられる面があります。アメリカの唱えるグローバルスタンダードに対して、私は以前から異論を唱えてきましたが、今回の事件はまさに、イスラム過激派からのそれに対する反撃であったことは事実です。元々、今回の首謀者と目されるビンラディンなる人物は、ソビエトのアフガン侵略に対してアメリカと一緒になって戦った人物です。それが、冷戦が終わってソビエトが無くなってから、矛先がアメリカに変わったのは、何故なのでしょうか。
 冷戦時代には、共産主義との対決という大きなタガがはめられていましたが、それが崩れた途端、冷戦時代には隠されていた、民族問題や宗教問題が世界中のあちこちで噴出してきたということです。ユーゴスラビアでのコソボ問題も、インドネシアの東チモール問題も同じことが言えるでしょう。つまり、世界中が今、「自分たちは何者か」という問いかけを始めているということなのです。自分たちには自分たちの歴史や文化、宗教がある。それを抜きにして今の自分たちの価値や存在意義を語れない。自分たちのこれからの幸せは無いということなのでしょう。
 冒頭申し上げたように、私は訪台で、多くの台湾のリーダーと懇談の機会を得ました。その中で感じたのは、台湾もまた、「自分たちは何者か」と言う問いかけをしているという事実です。以前は、台湾も大陸の共産党と対決してもう一度大陸を取り戻すということが、政治目標でした。中華民国を建国した孫文の後継者である蒋介石にとって、台湾は大陸反抗の砦であったのです。しかし、蒋介石が大陸から台湾に来る以前から台湾は存在し、人々は生活をしていました。台湾では人口の8割以上の本省人(台湾生まれの人)に対し、2割に満たない外省人(大陸出身の人)がいます。今までは冷戦時代の共産主義との対決の中、外省人の国民党が中心となって、台湾の政治経済を牛耳ってきました。しかし、冷戦が終わり(勿論、大陸の共産党が滅んだ訳ではありませんが)、本省人を中心に「自分たちは何者か」と言う問いかけが始まったのです。大陸とは違う自分たちの歴史や文化があるということに気付き出したのです。
 台湾では、初めて選挙で国民党の李登輝総統が誕生しました。その引退の後の選挙では、民進党の陳水扁総統が選ばれました。彼らは二人とも本省人です。台湾では今、国民党、民進党、国民党から分れた新党など、国民党の一党支配の時代から様変わりしています。これらの政党は政治的に色々な対立があるようですが、一番大きな問題は、台湾とは何かということのようです。今までは大陸の歴史しか教えてこなかったものが、台湾の歴史を学校の中で教えるようになったと聞いています。


こうした世界の動きを見るとき、私たち日本人が置かれている状況が見えてくるのではないでしょうか。「日本人とは何か」こんなことを考えなくても良いほど、日本人は非常に安定した社会を築いてきました。これは世界史上でも例のないことです。先の大戦に敗れた後、日本人は自らの歴史を封印して暮らしてきました。

文化や伝統を守るべき立場にあるはずの自民党ですら、共産主義との対決ばかりが政策の柱になり、歴史を守ることには非常に消極的だったのです。これも冷戦時代の世界各国に共通することです。ところが冷戦が終わって見えてきたものは、反共の盾としてアメリカと付き合ってきたつもりが、逆にアメリカ的思想に日本の文化が侵され、日本の姿が見えなくなってきたということではないでしょうか。
 そこで、もう一度、日本の歴史を日本人として見つめてみようという動きがあちこちで出てきています。「新しい歴史教科書」を作る会、戦後生まれの私が、毎回このShow youで論じてきていることもそのひとつです。まさに冷戦後の世界に共通する「自分さがし」の運動と軌を一にするものです。こうした世界の大きな歴史的転換点に、今我々は立っているという認識が、一番必要なのではないでしょうか。

新しい歴史教科書が語るもの
子供達の叫び




廣森日出夫さん
山口県出身。昭和23年6月14日のお生まれ。
 本業は有限会社パイ研究所代表取締役。普段は企業向けに食品衛生検査、指導を業務とされています。社名のパイ(π)とは、生命水の「パイウォータ」や人々の輪が広がる「乾杯」から名づけられたということです。「新しい歴史教科書」を作る会京都支部長を歴任されたご経験から、教科書を通じて広くお話をお伺いいたしました。

子供達の叫び

『私は日本人に生まれるんじゃなかった。侵略戦争や慰安婦の問題。私のお祖父さんやお父さんはそんなことをしてきたんだ。歴史を学ぶほど自分まで否定せざるを得なくなってしまう。』
こんな言葉を女子中学生から聞きました。それがきっかけで教科書を読む機会を持ちました。今から3年前のことです。

作られた悲劇

 私も他の父兄と同じで全く教科書に関心はありませんでした。読み出すと実にひどい内容が書かれています。小学校の教科書にも慰安婦のこと、戦時中の日本批判ポスターがさも事実のように記述されていたり、掲載されています。小学生にその様な事が理解できるはずもありません。
 慰安婦問題は10年程前から、韓国や中国・東南アジアに働きかけた日本人がいて補償問題に仕立て上げられ今日に至っているのです。また新聞社も煽動してきました。

国籍不明の教科書たち

 日本の歴史書籍を読むと実に面白いんです。その時代その時代の日本人の知恵や生き方、息吹がそれぞれの意味付けを通して伝わってきます。現在の多くの視点で見るとそれが伝わってきません。例えば8月15日は多くの日本人にとっては悲しい一日で、戦争に敗けて喜ぶ人はいなかったはずです。しかし多くの教科書では8月15日に「解放されて喜ぶ市民」という韓国の写真が掲載されています。これではどこの国の教科書かわかりません。勿論、日の丸の表記も無ければ君が代も載っていません。「新しい歴史教科書」が今までの本とどこが違うかと言えば、それは日本の視点に立って記述していると言う事なのです。

過去の思い出に迷走する知識人

 確かに過ちを犯したことも有ります。しかし物事には必ず両面があります。インドやトルコでは今でも欧米列強に対し開戦した日本に理解と敬意を表しています。だから色々な教科書があっていいのだと思います。
 ただ、「新しい歴史教科書」に対する脅迫やマスコミの偏った報道がありました。それは「正義=反権力=マルクス・レーニン主義」という青春の呪縛から未だに解き放たれていない人たちが、他の教科書出版社やマスコミの中にいかに多いかという現れなのです。

新しい公民教科書

 同時に「新しい公民教科書」が検定を受けました。今まで「自由・平等・権利」を社会の主体としていましたが、義務をより明確に記述しています。例えば子供には一般的な「人権」は当てはまらないと思います。子供にあるのは「特権」なんです。だから罪を犯しても大人と同じではないし、親には養育の義務があります。これを人権・平等だけで考えると大人も子供も対等になり、家庭も教育も成立しなくなってしまいます。親子には上下関係があります。家庭の次に地域社会があり、国がある。そして「公」という考えが必要になります。この時「公」という考えがないと単に私利私欲の権利の主張に終わってしまうのです。また「公」を支えるには国民の歴史に根ざした「道徳心」が必要だということを述べているのです。

世界は待っている、日本人の感性

 世論はだんだん変わってきています。日本人には誇りが必要になってきます。「地球市民」や「グローバル化」という言葉がありますが多分これからも実態は伴わないでしょう。むしろ今、日本人が世界に貢献できるのは「和の心」・「自然の中で人は生かされている」・「全てのものに神々が宿っている」など、歴史に根ざした「道徳心」や民族としての「感性」を持って外国と協調していくことなのです。公害や自然破壊が世界中の問題になればなるほどそういったものが世界から必要とされる時代になってくるでしょう。その時日本人は自信を持ち行動を伴う決断をしてゆくことが大切だと思います。

誇り高き子供たちを世界へ

 3年後には小学校にも新しい教科書が生まれます。いくら教科書が変わっても先生方が変わっていただかないといけません。現在、教員の方々を交えて月1回の勉強会を行っています。実践される先生方を微力ながら応援していこうと思います。
誇り高き日本人として世界のために貢献できる子供たちを今私たちが毅然と支えてゆくことが必要だと思います。

羅生門の樋のひとしずく
羅城門の樋


 今年ほど、教科書の採択に世間の耳目が集まったのも珍しい。
曰く、「自虐史観」。曰く「皇国史観の再来」。 私のような”教育音痴”にも、マスコミや政界を巻き込んだ論争が、毎日のように聞こえてきた。でも、其々の立場の論議を聞くほどに、私の頭は混乱した。
「アジア諸国への適正な配慮」これは、その通りだ。
「自国の歴史と伝統に対する尊敬と自信」これこそ、必要だ。
 ますます、頭は混乱した。”史観までも分からないが、何故、この二つは対立する必要があるのか”と。
ここは一度、子どもにも意見を聞かずばなるまい。
「う〜ん。学校の勉強やしね・・・。」
「まあ。歴史の事実は一つでも、歴史の真実はいろいろあるしね。」
 どうも樋の子は、一つの「史観」にはこだわってないらしい。
それどころか、学校の勉強を割り切って考えているらしい。その上、親の論点を外すのがうまい。(親とは学校の話をするのが、うっとうしいと思っている。)
 ここは踏ん張って、親の考え方というものを教えねばなるまい。
「天皇制は。日本の憲法は。グローバル化とは。」
 どうも論点がかみ合わない。樋にとっては”日々の出来事”でも、子供にとっては”勉強の文言”らしい。どうも、日頃の生活とはかけ離れた「机の上の知識」らしい。
「日本の文化や伝統は、自分達の生活そのもの。食生活の中にもある。」
「夕日に感動するのも、日本人としての宗教感情が後ろにあるからこそ。」云々。
 (うん。久しぶりに親の威厳を保っているぞ。)
 横で、「友禅染めの着物をきたら、伝統を感じるかも・・・。」
樋の嫁さんも要らんことを言う。

 今ごろの子は皇后陛下を「美智子さん」、皇太子殿下を「皇太子さん」と”さん”づけで呼ぶ。テレビでよく見る「皇室の人々」らしい。そういえば、アナウンサーまでもが「美智子さん」と呼んでいた。”身近に感じる”ことと”尊う”ことは別と気色ばんでも、埒があかない。親よりはテレビの方に、影響力があるようだ。
 これは互いの「考え方や感じ方」も、話し合ったほうがよさそうだ。
 そういえば、人がものごとを認識する時には、知識を知識として、その通りには受け入れないと聞いたことがある。知識は、受け入れる人の感性で脚色されるそうだ。自分の中に取り入れられた知識は、人と同じようでも自分なりの価値観や経験で編集されるらしい。そうか、知識そのものではなく、その与え方が問題ということか。
 日頃、家で親が話しているものの見方や、子供の経験からくる感じ方のほうが、子供には影響するらしい。
 「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもの。子供には手遅れでも、せめて孫への躾の練習に、今から子供に「ものの感じ方」を話そうか。


 みなさんこんにちは、先月より西田事務所で働いています杉尾巨樹(すぎおひろき)と申します。新しい環境に未だ右往左往する毎日を送っていますが、何事にも新鮮な気持ちで取り組み、前向きに頑張っていきたいと思っております。
 私は同志社大学在学中に「政治学研究会」というサークルに所属していまして、西田先生とはこの研究会で、自民党の若手議員との交流会という企画を通じて知り合いました。実は私はそれまで政治家に対して不信感を抱いていました。しかし、自民党の若手議員の皆様との真剣な議論や政治に対する熱意に感激しました。中でも、現在日本がこのような閉塞状況に陥っている状況を的確に分析し、次の時代での役割を「保守」という方向性でわかりやすく解説された西田先生のお言葉には特に心打たれるものがありました。
 それが縁で学生時代に西田先生が局長を務める自民党青年局の学生部に所属しておりましたが、在学中には学びきれなかったものを西田先生の間近で学ぶべく、一念発起して先生の下に押しかけて来た次第です。
 まだまだ半人前で事務所の皆さんや、後援会の皆様の足を引っ張ってばかりおり、先生から毎日一回はピシャリとやられていますが、学ぶことの多い充実した日々を過ごしています。「杉尾巨樹」が一人前になれますようご指導ください。よろしくお願い申し上げます。      
                                                             杉尾 巨樹

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  政治に関心のある学生は、あまりに野心が強すぎて私と相容れないことが多い中、杉尾君は現代稀に見る純粋で心優しい青年です。今後とも私同様の御指導を賜りますことをお願いいたします。

西田昌司

編集後記

 先日近所のお寺を散策しているときに境内に上ろうと、うしろ向きで上履きをぬいだところ、ある婦人から「京都では履物を脱いだ後に手で向きを変えるのですよ」と教えていただいた。
 私の郷里鹿児島では家に上る時は背後に敵がいるかもしれないということから、外を見て靴を脱ぐように躾けられたことを思い出しながら、また一歩京都に近づけた気がしました。

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