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第28号

2001年07月07日発行

父 西田吉宏を語る

京都府議会議員西田昌司


 私は、連日の街頭演説や昌友塾など、いろんな機会に「教育の本質は、親が子供に伝えるべきものは何かということを考えることだ」と偉そうに述べてきました。しかし、これは中々難しいことです。まず、何を伝えるべきかという内容も大切ですが、それを伝える方法のほうがもっと難しいことを、自分自身、子育てをしながら痛感しています。「素直」「正直」「勇気」「優しさ」など子供に伝えたいことは沢山あります。どれも、目に見えるものではありません。「ほらこれが勇気だ」「これが素直さだ」と子供に手を取って教えることなど不可能です。それだけに、子供に伝えるには、親が自分の生き方で子供に示す以外に方法がありません。逆に言えば、子供によって「親になる」「一人前の大人になる」教育をされているのだとさえ思えます。
 つまり、目に見えない大切なものを教えることが、教育の基本であり、それが子供を教育すると同時に、自分自身をまた教育するということなのでしょう。このことに気付いたとき、私は、「自分の両親はよく私たち四人の子供を育てたものだなあ」と感心すると同時に、感謝の気持ちと自分の未熟さに恥じ入ったものです。そこで、今回はそうした思いから、私の父について述べてみることに致します。
 私の父、西田吉宏は、参議院議院をしています。私が、府議会議員になったこと自体、父の参議院転出に伴うものですから、私の政治家としてのスタートからして、父の影響をまともに受けています。
 私が、父のことで一番よく覚えているのは、昔はまだ父が議員になる前、私が小学生の頃の話です。その頃、父は養鶏場を営んでおりました。私たち四人の子供のほかに、祖母や、叔父叔母が一緒に住んでおり、食事の時などは競争も激しいものでしたが、大家族の賑やかさ、楽しさのほうが印象に残っています。
 祖父が病気がちであったため、父は、小学生の頃から家の手伝いをしていた話を私たちによくしました。小学生の私に自分が、お前ぐらいの年には、千本今出川まで自転車の前と後ろに籠をぶら下げて、一日に二回も卵の配達をしたものだ。」「野球が大好きで、友達と遊びたかったけれど、家にかえってきたら病気で寝ているおじいちゃんに、そんなことをして遊んでいる暇は無いと、寝床からものさしで頭をたたかれて怒られた。お前たちは幸せやな。」ということを何度も聞かされました。


 父は、戦後大勢の復員者もあり、狭き門だった洛陽工業高校の電気科に入学をしました。そして、エンジニアを夢見るのですが、祖父の病がいよいよ悪化してしまい、授業料が払えなくなり二年の途中で退学せざるを得ませんでした。しかし叔父たちには高校だけは卒業しておけと、みんなを学校に行かせ、一番下の叔父は大学まで行くことが出来ました。「自分は勉強したかったけれど、出来なかった。お前たちはしっかり勉強しろよ。」とよく言っていました。
 父はよく、「自分は学歴が無い。でも世の中の大切なことは大学を出た者よりわかっている。」と、お酒を飲んだときに言っていました。とても悔しそうでした。また、「お前は大学を出たからといって偉そうなことを言うな。」とよく叱られもしました。そうしたことが父のエネルギーになったことも事実です。とにかく負けてなるものかと、一生懸命に働きに働き、二十歳代半ばで三つの養鶏場を経営する、京都でもひとかどの養鶏家として知られるようになりました。
 父が議員になってからは議会の話もよく聞かされました。「共産党がなんぼ福祉の話をしても、自分のほうが貧乏人の苦労はよく知っている。」「人を助けてあげるだけではダメだ。自分で生きられるようにしてあげるのが本当の政治だ。」このことを口癖のように言っていました。
 養鶏場を営んでいるときから、知的障害児の方が職親として生活の自立を支援し、国会議員になってからはその親の会に当たる「京都手をつなぐ育成会」の会長も努めてきました。まさに父は、自分の考える福祉を実践してきたと言えるでしょう。
 父が一番苦しかったのは、祖父が死に、姉(伯母)が心臓弁膜症で死に、一番下の小学生の弟(叔父)が腎臓摘出手術をするなど、家族の不幸が続いた二十歳前後の頃でしょう。祖父が老人性結核で寝込んでしまってから、父は文字通り一家の大黒柱として働いてきました。健康保険も無い時代です。一本一万円もするストレイプトマイシンを毎週父のために買っていた父は、ある日お医者さんに呼ばれてこう言われたそうです。「気の毒だけれど、お父さんはもう治る見込みがない。君には幼い弟たちがいるじゃないか。その子らのためにこのお金を使いなさい。」と。父は「一番下の弟はまだ、幼稚園です。一日でも長く父親と暮らさせてやりたい。どうか一日でも長く父を生かせて下さい。」と頼んだと言いました。
 私はこの話を聞かされるたびに、涙が出て止まりませんでした。今もこの話を書きながら、泣いてしまいます。父の原点はまさにここにあるのだと思っています。
 私が生まれたのは、こうした不幸が終わってからの時代です。別段苦労もせずに大きくなりました。でも、こうした父の体験は私の中では自分の思い出の一部のような気がしています。
 養鶏場を営んでいた頃は、今から考えても、よくこれだけ始末できたものだというくらい質素な生活でした。毎日のおかずは、かしわと卵。しかしこれは、商品価値の無いひねたかしわで、いくら噛んでも噛み切れないほど硬いものばかり、卵は割れていたり、殻の無いものばかり。ご飯も麦ご飯。鶏の餌に料亭から魚のあらを貰ってくるのですが、その中から失敬して私たちの夕飯が出来上がるのです。ですから食費は殆ど使ったことが無いんじゃないかと思うほどでした。それでも不思議に、貧しいという思いはありませんでした。ただ、小学校の家庭科の時間に、本日の献立を書くのが恥ずかしくて、見栄を張って別のおかずを追加して書いたことはありましたが……。
 今年の正月でしたか、久しぶりに家族がそろって食事をしていたとき、私が、子供達の贅沢三昧をみて「お父さんもあらを食べて大きくなったんだぞ。これが当たり前と思うなよ。」と言ったら、父は、「お前があらを食べて育ったことを、子供に言えるようになったんだな。」と喜んでいました。
 平成元年の参議院選挙のとき、これは父の政治生活の中で一番の危機でした。リクルート事件や、反消費税の嵐の中、自民党への支持率は最低の状態でした。さすがの父もこのときばかりは「もうやめたい。」と私たちに弱音を漏らしたことがありました。しかし、いったん選挙になってからはそんな弱音は一切出しません。まるで何かに取り憑かれたかのように、一心不乱で戦いつづける父の姿は鬼気迫るものがありました。「自分が負けようが、死のうが構わない、自民党の議席を失ってしまえば、日本はどうなる。府民、国民に申し訳ない。」まさに決死の覚悟を父の後ろ姿に感じました。
 いつの時代も必死で全力で生き抜いた父の姿は、敗戦から経済成長に至る戦後日本の姿と二重写しに思えてきます。バブル崩壊の閉塞感に包まれた今の日本に必要なものは、自らの人生を切り拓いて行く父のような気概と、バイタリティーであると信じています。私も自分の生き方を子供に伝えることの出来る、そんな親になりたいと努力しています。


西田昌司密着レポート No.2

 去る6月5日京都テルサ大会議室で、約300人の方にお集り頂き、第二回西田昌司演説会が開かれました。参加された皆様に心より感謝申し上げます。会場から熱気のこもったたくさんの質問を受け、西田昌司本人も大変感激しておりました。
 講演について、前回に引き続き京都大学経済学部三年の稲村亮(前回稲森亮と記載がありましたが、稲村亮の誤りです。失礼しました。)君にレポートをお願いしました。なかなか鋭い質問をしていますが、これらの質問は、次回以降の昌友塾でお答えしたいと思います。

第二回西田昌司講演会に参加して
京都大学経済学部三年 稲村亮

「構造改革とはなにか。」今回、西田昌司先生はこの題で講演をされました。しかし、小泉内閣(や民主党)が掲げる「構造改革」と昌司先生の言う「構造改革」はかけ離れていますので、それを前置きして言っておく必要があったのではないと思いました。
 小泉内閣のかかげる「構造改革」は、財政のスリム化、規制緩和、そして郵政民営化など、政府をいわゆる小さな政府にし、民間の活動を活性化させようという、どちらかと言えば市場主義的な国家を目指すものであります。一方、昌司先生がやるべきという経済政策は、不況下、民間の活動が不活発な中、やはり財政出動を行って需要を喚起しようという。大きな政府によるケインズ的な政策(財政・金融政策により民間需要を喚起させようとする政策のこと)であります。その違いに言及しないと、演題を見て訪れた聴衆が「構造改革」について混同する可能性があると感じました。
 さて、昌司先生の話そのものの内容は、非常に分かりやすいものでした。特に、現在の不況についての説明であります。今、デフレ(特に資産デフレ)が問題であること、日銀が量的緩和や低金利政策を行っているにもかかわらず市場に資金が回らないのは、不良債権の問題と、バブル期から見て今は土地の価格が10分の1にまで値下がりして担保不足が起こっているために、銀行が融資をしないこと、それによってさらに土地の値下がり(=デフレ)が進むこと……。こういった不況下における悪循環を、例えを使って語ったのは、非常に分かりやすいものでした。また、国債の金利が低い今こそ、国は国債を発行して、景気対策をすべきだというケインズ的な政策の根拠も非常に分かりやすかったと思います。
 しかし、いくつかの疑問点の私には想起されました。

1. 国債の発行に対して、国民は結構不安を持っているという点。将来、増税の不安があるのであれば、景気は浮揚しないのではないかという点。また、社会契約的な考えが日本人の間に広まっているので、負担に対し、受益がどれだけあるのか、すなわち、ある世代は受益が多く、ある世代は負担が多いというアンバランスに対して、日本人は反対なのではないかということ。
2. 国債の金利は低いというが、それは危険な均衡の上に立っているのではないかという点。資本市場で株価が伸びないために国債需要が増えたり、企業の資金需要がないために、銀行が国債を買って資金を運用しているから、国債の金利が低くなっているのではないか。だから、資本市場の変化で国債金利が上がる危険性があるのではないかということ。政府による需要喚起政策は、どのように行うべきなのかという点。一般財源を使うのか、財投を使うのであれば、政府系法人以外にも融資を行うのか。また、従来型の公共事業をするのかということ。それが、どの程度産業連関効果をもつのかということ。
3. 外資が入ってくるのは危険というが、もう既にだいぶ入ってきているのではないかという点。また、危うい日本企業の元で人員削減がなされるより、健全な外資によって雇用を吸収してもらうほうがよいのではないかということ。

 以上のような疑問が生まれたわけですが、時間の都合等で、そのあたりへの言及はありませんでした。またの機会にお答えいただきたく思っております。
 私の感想は以上です。政策の方向としては、どれが素晴らしいのか、私は分かっておりません。自ら意欲を持って勉強することが、「思考停止」に陥らないことではないかと思っています。

羅生門の樋のひとしずく
羅城門の樋


 また、あってはならないことが起こった。朝、「行ってきます。」と元気に家を出た子が、夕に骸になって帰って来る。それを迎えねばならない親の無念さを想えば、ただ、涙することでしかこの気持ちを表せない。
 人の生命をいのちとも思わない、何故このようなことが出来るのか。容疑者の持つ特異な性格ゆえか。その生い立ちが問題か。教育が悪いのか。日本の社会がここまで来てしまったのか。いや、どうもすっきりしない。 容疑者は二つの大罪を犯した。

 一つは、八名の子どもを殺し、十数名を傷つけたこと。二つ目は、詐病することによって病気に立ち向かっている人とその家族を傷つけていること。先の問題は、裁判所に委ねよう。しかし、後の問題は、私たちの地域社会がもつ相互扶助のつながりをじわりじわりと侵食する。
 或る高校生が「何故、お母さんは精神病にかかったんや。」と家で泣いた。長く、鬱病で治療を受けている母親は、それを涙を流して聞く以外になかった。この子は小さな時から、母親を気遣う優しい子だった。高校で事件が話題となると悲しさでいっぱいになるという。これは現実に起きている問題である。
 私たちの社会は互いに助け合う機能を持つ。しかし同時に、身を守る余りに異質なものを排除しようとする働きも、悲しいかな未だに持っている。この働きをする原動力になるのが偏見であり、無知である。この偏見や無知は、「怖い」という感情がもたらす場合もある。付属池田小の事件の容疑者は、私たちが陥りやすい、この偏見と無知を利用して罪を逃れようとした。その上、闘病する人と家族を更に苦しめている。
 いま、私は付属池田小の被害に遭われた子どもとご家族に何もすることができない。ただ、京の地でご冥福を祈るのみである。しかし、容疑者が犯した二つ目の犯罪に対しては、行動することができる。それは「精神病」を知ることである。正しい知識を知ることから始めようと思う。それが私の偏見と無知を少しでも防ぎ、私たちの地域社会を守ることにもつながるから。
 私たちはハンセン病への無知と偏見から、人として生きる権利を奪ってしまった。それは、昨日のことである。病に自分が犯されるという恐れと無知が偏見を生み出し、自分たちの社会から隔離することで解決しようとした。この過ちは二度と繰り返すまい。私たちの社会が安全であるためには、己の無知と偏見こそ敵であると思うから。

編集後記

 いよいよ参議院選挙です。政治家と共に有権者の見識が問われているような気がします。世の中をしっかり見つめて、しっかり選びましょう。

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