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第82号

2015年04月20日発行

大阪都構想が近畿を潰す

参議院議員西田昌司

大阪都構想は大阪市の解体


府連会長として公認候補者を連日激励訪問いたしました

 隣の大阪では橋下市長が松井知事と大阪都構想を掲げ、来る5月17日に住民投票を行います。しかし、大阪都構想とはいうものの「大阪都」にはなれません。名称は大阪府のままで、大阪市が5つの特別区に解体されるだけです。大阪都構想は、大阪市解体構想と呼ぶ方が正しいでしょう。
 5つの特別区にはかつての大阪市のような権限はもちろんありません。東京の特別区の権限は、政令市はもちろん中核市や一般の市よりも権限は大幅に制限され、世田谷区の様に市になることを望んでいる特別区もあります。大阪都構想においても、特別区は政令市の大阪市より権限も財源も小さくなるという事実を先ず知ってください。失った権限と財源は、大阪都ならぬ大阪府に吸い上げられることになります。これは東京都の23区も同じことです。つまり、特別区の自治権は大幅に制限されるということです。
 普通に考えれば、大阪市民にとっては何のメリットもないように思えます。政令市である大阪市は、府県並みの自治権を付与されています。大阪都構想は、それを大阪府に返上し、政令市より格段に権限の少ない特別区に再編するということです。
大阪市民にとっては大阪市の権限が大阪府に召し上げられるだけで何らメリットがないものであるにも関わらず、アンケートによれば賛否が拮抗しているのは、多くの大阪市民にこうした事実が伝わっていないことに原因があります。
 そして、それを助長するのが都構想という名前です。大阪も都に成れば東京都の様に発展するというのは、全くの事実誤認です。また、大阪都構想という名前こそ、そうした誤解を誘導するためのものと言っても良いでしょう。

東京の特別区は戦時体制が生んだもの

 東京都もかつては東京府と呼ばれ、その中核には東京市がありました。それが昭和18年に東京市が23の特別区に解体され、その権限は東京府に移管され東京都となったのです。23の特別区の権限は、東京市時代より格段に制限されることになりました。かつて東京市が持っていた権限は、東京都が吸い上げることになったのです。
 昭和18年と言うと大東亜戦争の真っ只中です。このことからも分かるようにその目的は戦時体制の強化です。当時は東京都長官と呼ばれていたのですが、官選による知事が置かれ、自治権は大幅に制限されることになったのです。終戦後は、都知事はもちろん公選で選ばれています。
 しかし、依然として特別区の権限は、一般の市より格段に落ちる権限しか与えられていません。そのため、特別区の自治権を他の市並に回復させるよう主張する区長もいます。その意味では、東京の特別区は戦時体制の名残りとも言えます。

大阪市の分割ではなく、集積をはかれ

 大阪都構想の原点に有るのは、都政と府政のシステムの違いにより、東京は発展し、大阪は衰退したという考え方でしょう。また、大阪市民の中にもそのように考えている人もいるようです。しかし、それは全くの誤解です。
 事実、大阪市は昭和40年代ぐらいまでは、西日本の経済の中心でもあり、東京に引けを取らない大都市でした。それが東京に大きく水を開けられたのは、東京が都であるのに対して、大阪が府であったからではありません。その原因は、東京では昭和39年の東京オリンピックを契機に急速に都市基盤整備が進んだからです。一方、大阪も昭和45年に万国博覧会が開催されるなど、西日本の中心として発展をしてきました。しかし、万博の会場が吹田市であったように、核になる大阪市の行政区域が小さすぎたのです。
 因みに、大阪市の人口は平成27年3月の推計値で268万人、面積は233㎢で人口は大阪府全体の約3割で面積は約1割です。対する東京は人口915万人、面積は622㎢で人口は東京都全体の七割で面積は3割です。人口も面積も大阪市は東京23区の1/3程度しかないのです。都市としての集積不足が大阪市の最大の欠点であるのです。そのため、大学も大阪市内には少なく、阪大も豊中や箕面にあります。
 従って、大阪都構想よりむしろ、大大阪市構想つまり、堺や吹田や豊中や東大阪などの市町村を合併して、政令市としての大大阪市を目指す方が理にかなっているのです。
 当初の大阪都構想もこうした観点から、周辺の都市を巻き込んだもので特別区を20区にし、人口面積とも格段に集積が進んだものであったようです。
 ところが、肝心の堺市が大阪都構想に反旗を翻したため、実現不能になったのです。その理由は、折角政令市になったのに権限が政令市より少ない特別区になることを拒んだためでした。これは、堺市民にとってはもっともなことでしょう。
 堺市が大阪都構想に参加しなくなったため、大阪都構想は当初とは全く違うものになってしまいました。周辺の都市を集めて集積を高めることができず、単に大阪市を5分割するだけのことになってしまったのです。

大阪市の分割で大阪は衰退する


京都府商工会連盟政経セミナーにて「京都の地域創生」をテーマに講演をいたしました

 この結果、大阪都構想は都市の集積ではなく分割だけを行うことになったのです。大阪市は政令市として、府県並の権限と予算を持っていましたが、それが分割され、権限も予算も以前より少なくなることは、制度上明らかです。また、伝統ある大阪市が分割され、予算規模も権限も小さな特別市区になれば、少なくとも大阪市民にとってメリットがあるとは思えません。権限と予算を減らされて大阪市内が発展するはずがないことは、火を見るよりも明らかです。

二重行政の排除は正しいのか

 そもそも、二重行政の排除が大阪都構想の最大の眼目になっているようですが、これも疑問です。その象徴が、関西国際空港対岸にある「りんくうゲートタワービル」と大阪湾開発のシンボルとされた「WTCビル」(現・大阪府咲洲庁舎)であると維新の会が声高に主張しています。これは、バブル時代に府と市が競って建設計画をスタートさせた巨大な箱モノで、府が推進したりんくうタワーは約660億円、市のWTCは約1200億円もの総工費が公金によって建てられたそうですが、両者を運営する府と市の第三セクターは2005年ごろ、ともに破綻をしてしまいます。銀行への借入金を役所が肩代わりし、府も市も莫大な公金をムダにしてしまったそうですが、これこそ二重行政のシンボルであると維新の会はいうのです。
 しかし、こうした箱物の破綻は本当に二重行政が原因なのでしょうか。市と府が似たようなものを作ったから破綻したのではなく、バブル景気を前提に計画し、それが破綻したことが真の原因ではないでしょうか。これは、学研都市に国が建設した「私のしごと館」の破綻と同じです。二重行政ではなく、バブル景気の崩壊が破綻の原因です。

二重行政の排除は大阪市内の投資を削減する

 政令市には府県並の権限があると言われています。例えば商工政策です。大阪市が中小企業に助成をし、更に大阪府も助成をする。これが二重行政です。また、府民ホールを大阪市内に作る。これもまた二重行政です。これらを排除するということは、大阪市内での大阪府の投資を排除するということです。仮に二重行政排除が正しいとしても、その結果もたらされるのは、今まで、大阪市内で行われてきた大阪府の行政サービスや投資が削減されるということであり、市民にとっては全くの損になります。その代わり、大阪市以外の投資が増えるかもしれませんが、果たしてそれが府民の利益でしょうか。元々、大都市は賑わいの中心として存在しています。その施設を利用するのは必ずしも市民とは限りません。府民は元より他府県からもその賑わいに魅かれ人々が訪れます。それがまた賑わいを創り、結果的に大都市の経済は発展し、税収も増えるのです。
 元々、大阪は近畿の中心として発展してきたのです。そのため、他の都市には無い様々な施設が揃っていました。またそれが二重三重にあることから更に大きな賑わいを創り、その結果、周辺の都市をも豊かにしてきたのです。二重行政排除はこうした投資が削減されることであり、大阪市民にとって損であることはもちろんのことですが、その周辺住民にとっても損なのです。

大阪都構想で近畿は賑わいの核を失う


テレビ愛知「激論!コロシアム」〜成人年齢で大バトル!18歳に少年法は必要か!〜に出演しました

 この様に、大阪都構想は二重行政排除という行政の効率化にばかり主眼が置かれ、肝心の経済の活性化ということに対する視点が欠けているのです。そもそも維新の会は道州制を主張していたはずですが、その裏にあるのは近畿州の州都としての大阪を考えていたはずです。道州制が出来る前に州都になるはずの大阪市を解体してどうするのでしょうか。

間違いの元は道州制

 もっとも、その道州制自体が間違った発想です。何故なら、道州制も大阪都構想と同じく、二重行政の排除が目的だからです。道州制は、財界からもその導入が主張されてきました。彼らは、都道府県を廃止し道州制にすれば、行政効率が上がり行政コストが削減できると主張してきました。彼らは、4兆円もの行政コストの削減が可能だとも言ってきたのです。しかし、行政コストを4兆円削減するということは、その分それぞれの地域で使われる予算が4兆円減るということです。地域で使われる予算を増やせば、経済が活性化することは分かりますが、予算を減らして活性化などあり得ません。この議論の裏にあるのは、4兆円の予算を削減できればその分法人税を下げることができるという財界の思惑があるのです。
 確かに、法人税を下げれば、その分企業に資金は残ります。しかし、それを企業が国内で投資や雇用に使ってこそ経済の活性化に資するのです。ところが、現実には企業の内部留保は増える一方で、国内の雇用も投資も増えていません。まさに、これがデフレの原因なのです。

合成の誤謬(ごびゅう)

 大阪都構想にせよ道州制にせよ、つまるところは行政の効率化がその目的です。そして、そのモデルになるのは企業経営です。バブル崩壊以後、民間企業は経営の効率化を行ってきました。できるだけコストを削減してきたのです。これは、企業経営としては正しいことです。しかし、誰もがコストを削減して内部留保を貯めれば経済は停滞しデフレになります。一つ一つは正しくても、それをみんなが行えば間違った結果になることを合成の誤謬と言います。この合成の誤謬を行政にまで及ぼすというのが大阪都構想であり、道州制なのです。

大阪市民に告ぐ

 以上述べてきました様に大阪都構想は、全くの的外れであり、特に、大阪市民にとっては百害あって一利なしです。この被害は近畿一円、ひいては日本全体に悪影響をもたらします。しかし、京都市民である私にはそれを止めることはできません。出来るのは大阪市民だけなのです。大阪市民よ、目を覚ませ!この記事を是非とも、一人でも多くの大阪市民に伝えてください!

樋のひと雫

羅生門の樋

 日本で統一地方選挙が行われていた頃、中米パナマではキューバのラウル・カストロ議長と米国のオバマ大統領が半世紀ぶりの首脳会談を持ちました。新聞報道の写真を見て、人民革命も遠くのものになってしまったと独り感慨に耽りました。
 子供の頃には「キューバ危機」が起こり、世界大戦に向けた時計が針を進めました。学園紛争の頃はキューバ革命の英雄チェ・ゲバラの写真が各大学に掲げられたものでした。ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が消滅した後も、フィデル・カストロは反米の姿勢を崩さず、毎年の独立記念日には8時間にも及ぶ演説をぶっていました。ここ10年の間でも、中南米に多くの反米政権が誕生し、その精神的支柱がキューバの存在でした。ベネズエラのチャベス大統領も毎年のようにキューバ詣を行い、フィデルから喝を入れられていたように思います。
 最大の援助国であったソ連が崩壊し、砂糖の輸出相手を失ったキューバは、外貨獲得の手段も失いました。また、半世紀に及ぶ米国の経済封鎖は庶民の生活を抑圧し、唯一と言っていい経済支援国のベネズエラも、チャベスの死に伴う政権の劣化と原油価格の低下で経済的困窮が始まりました。今のキューバに経済的な支援を行う国はなく、現実的には米国との対話がキューバを経済的困窮から救う唯一の方法かも知れません。
 当時のケネディ大統領の反キューバ政策に対抗する為に、フルシチョフ第一書記と手を握る。これも当時のフィデルにとって祖国を守る唯一の現実的方策でした。そのために、盟友のゲバラとの路線対立をもたらし、チェはボリビアで死ぬことになります。
 「豊かさか貧困か」。キューバを訪問するたびに考えさせられます。深夜に着くハバナの飛行場は照明も少なく薄暗いです。クーラーを持たない庶民は、夜遅くまで家の前で涼んでいます。50年代のキャデラックの部品は全てが手作り、大通りのビルの壁も薄汚れ、官給所の棚には余り商品も並んでいません。でも、人々の表情は明るいです。配給に並んでいる人の中で争いは見たこともありません。中南米で見かける物乞いもいませんし、夜遅くに出歩いても強盗に出会うこともありません。共産主義国家を自称しながら、富の偏在と格差を生み出す、どこかの国とは大違いです。クバリブレとピニャコラーダを飲みながら、サルサを踊る。その顔には貧困は見られません。カリブの太陽の日差しは強くても、人々の心と生活に影を作らないようです。
 本当にフィデルは共産主義革命を目指したのか。農地の大半を外国資本が占有し、政権は彼らと結託する。人々は農奴の如き生活を送り、基礎教育も受けられない。理想に燃えた青年たちが祖国の解放を夢見たのも頷けます。革命が成った時、フィデルが米政権と話し合おうとした機会を米国が拒絶しなければ、今の中南米の政治情勢もずいぶん変わったものになっていたでしょう。
 これからは米国の商品や物が奔流のように押し寄せます。人々がこれらと上手く折り合えるように願います。「祖国か死か」。ゲバラが行った国連での演説は、今もキューバの2ペソ硬貨にチェの肖像と共に彫られています。

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